あさきではスルーされてるけど、
頭中将の娘の方の弘徽殿女御って入内するときに、箔付けの為に祖父の左大臣の養子になったらしいけど、
平安時代にも形式上の養子縁組があるのなら、
後見が無いとか身分が足らないとか言われてる紫の上も、どこかの偉い人の養女になればいいんじゃねと思いついた。

だけど、実父の兵部卿宮が認めないか。
ヒステリーな妻が怖いのかどうか知らないけど、
源氏との関係を強くしたいと考えながら娘の後見はしないとか、何がしたいのやら。