裏付けも一杯書いとくよん♪\(^0^)/

●勾玉は霊魂の鍵を「ある周波数」で開く。
●サウザーも飛燕の極十字聖拳に影響を受けて「極星十字拳」を編み出した。
●サウザー編のラオウが隠れ家で飲んでいるのは「水」。
●弥生時代の127年が過去二千年間で最も降水量が多く、洪水も多かった。この後倭国大乱となったが、倭国は干ばつや
洪水が多く、異常気象が続いていた。2世紀は争いが絶えなかった。その後193年前後に卑弥呼を共立。卑弥呼は20〜
80才の60年間シャーマンをやっていた(193年で20代、247年で80代とすると、164〜167年生まれ?)。239年、
卑弥呼は魏へ使節を派遣。240年、魏の使者が「親魏倭王」の金印を渡す為に来訪。247年に起こった日蝕の為「霊力が
落ちた、呪力が無くなった」として同年来訪した魏の役人に責任を問われ、暗殺された。
●天照大御神は卑弥呼がモデル。邪馬台国から大和朝廷へと移行した。卑弥呼は太陽神を操るシャーマン。元斗は光
(太陽)の拳法。
●「邪馬台国ジャワ島説」の続きだが、「魏志倭人伝」には「倭人は海に素潜りして魚を捕る」「倭は小島が点々とした所で
ある」「一夫多妻制で、女の人は嫉妬深くない」「女性の王を立てる」とある。邪馬台国の文化・風俗は南方、東南アジアの
影響が強い。「南至邪馬台国水行十日陸行一月」ともあり、記述通りに進むと南の海の果て、一説にはフィリピンの東の海上
に辿り着いてしまう。また、「倭国は(晋の首都)洛陽からの距離は一万七千里」ともある。15世紀に朝鮮半島で描かれた
世界地図の「混一彊理歴代国都之図」にも日本列島は本来の位置より遥か南に描かれている。それと、「伊都国(福岡辺り
にあったとされる都市)に一大率(地方知事)が置かれていた」事から、北九州というものが首都圏ではない事も明確に
言える。邪馬台国は九州以外のどこかにあったのである。「親魏倭王」の金印が出土すれば邪馬台国の位置比定の決定的
な証拠となる。