>>331

『聲の形』では、同じ事象が視点を変えるだけで全く違って見える怖さを扱っていると思います。

小学生時代:
読者は石田視点から見ており、学級裁判で石田を裏切って石田になすりつけた植野の欺瞞に気付く事が出来る。

高校生時代:
植野は、自分が石田になすりけた事を無かった事にして、西宮を責めた立てる。
すると、読者は植野が石田を裏切った事を認識できなくなってしまう。

どういう事かというと、小学校時代の学級裁判において、植野や島田は石田を責める事で
自分達も西宮をいじめていたという認識を無かった事にしていたのです。

小学校時代、西宮いじめをネタに石田を殴る島田達を読者は嫌悪しますが、
同じように、自分が石田を裏切った事を無かった事にして西宮を殴る植野を正直者と思ってしまう。

『聲の形』は、自分以外に向けられる敵意には正当性が感じられ、いじめを格好いいと思ってしまう事を証明してしまった。

とても怖い作品だと思いますが、ワッチョイ bd74-QcHdさんは、そこに違和感を覚えるんですね。