>>520
1977年頃は「ドカベン」「野球狂の詩」「一球さん」の三本が週刊連載、「あぶさん」「球道くん」が月2回刊だったはず
それプラス自身が主催の野球雑誌創刊もこの頃で、ドカベンなどは連載の増ページに加え雑誌表紙や巻頭のカラーも多く
(カラー化はスケジュールが早くなってしまう)、なおかつ草野球もやりながらだったので、正直週刊連載5本の経験も有る
永井豪のピーク時よりもある意味忙しかったんじゃないかと思う

でも水島新司はジャンプとはもっとも縁がなかった大物の一人だったけど・・