サルでも描けるまんが教室 第4章
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「サルまん」懐かしいw
「また一歩、野望に近づいた」だっけ? レディコミはテトリスだ!
心の隙間を埋めるアバンチュール(ちょっとは自分で操作しているところがミソ)
>>6
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(`’ 〃 久 乂 /ヘ| k{::::.....}o}.....:::ikj ....:: ノフ  ̄`ー─---<_>'─ ¨
`ー─弋__ス-‐ ' ⌒ヾ`ー|;k{ ノ,ノ ノソ / サルまんは名作だと思う
2.0と竹熊の醜態は事故で頭打って過去とは別人になったと思うことにする
あまりにも悲しすぎる結末 『サルまん』で「マンガの世界では2モノは失敗するのは常識」って書いてあったけど、
今じゃどの雑誌でも2モノばっかり。 絵だけで内容がない、キャラが薄いと、アニメ絵漫画を思いっきりバカにしてたけど
いまの漫画誌で勢いがあるのは角川系を中心としたアニメ絵だしな。
音楽は漫画から聞こえてこないからダメだってのも、大ハズレ。
NANA、けいおん!とバンド漫画の大ヒットはいくつも出ている。
作家のやる気だけ先走って担当編集者のコントロールが効かず、ダッチロールを
繰り返し、打ち切りという結末は本当に2.0で現実になったというのがすごい皮肉だ。 >>12
それもこれも、今世紀に入って時代が竹熊を追い越したからだろう 時代が追い越したってのは下手な言い訳の典型例だよ。
漫画の基本的な法則・原理原則だと打ち出したことが10年足らずで
覆されるのは、単にマクロ的な研究分析をしていなかったわけ。
で、あくまで漫画エンタメ作品の中での法則でしかなかったということ。 でも、あれって「老年漫画」をのぞけば、別に未来予測を
目的とした作品じゃないじゃん
あくまで当時の漫画の状況を分析したものだよ
その「老年漫画」の登場は外れたけどなw
現在のビッグコミックやオリジナルが事実上、老年漫画誌なんだが、
別に老人は、サルまんで分析したように、老人が主人公の漫画を求めてはいなかったな。
もっともあの極端な分析もギャグだろうけど > で、あくまで漫画エンタメ作品の中での法則でしかなかったということ。
まったくその通り。だが書いた本人が真に受けていたとは思わなかったよw プルトニウムをフリカケで食べるネタあるじゃん。あれって広報によくある
過剰な礼賛をパロったギャグだよな(通販番組の「まあ、ステキ!」と同じで)。
たまたまプルトニウムの毒性は少ないことをPRする広報パンフのカットがあったんだが、
震災後に先見の明がありましたねと言われて、本気で喜んでいたぞ。
先見の明と思う方もアレだが、見抜いていたと言われて相好を崩して喜ぶ竹熊も・・・ >>15
予測が当たった外れたじゃなくて、ネタにしても本気にしても
“漫画博士の講義”は通用しなかったってことでしょ。
「パート2は当たらんのじゃ」「バンド漫画は無理じゃのう」
レディコミは都合良く落ちてくるがすぐに次の不満を覚えるの
くりかえしというテトリス理論は面白かったけど、安直な女の
エロ漫画みたいなレディコミは全体の一部だし。
ライバルのインフレもうまく回避して続けるようになったし。 >>18
将来的に通用する、しないじゃなくて、
サルまん連載時(バブル期当時)の漫画業界を評して、通用しないってことを、
あの漫画は指摘しただけじゃないの?
実際、2ものがバンバン当たりだしたり、バンド漫画がヒットしたりとか、
ライバルのインフレがなくなって何十巻も続く漫画が、やたら増えたのって、
サルまん連載終了から10年近く経った、90年代末から2000年代からだし 「この○○マンガの法則は、未来永劫普遍のものなのだ!!」
「うむ!!」
とか作中の竹熊・相原に言わせたわけでもないし >>12についてはブログでアニメ絵物、少年少女混同したような物は
そのうち消えて硬派が復活する…そう予想し見くびっていたと謝罪してたな。
ビンビンがすぐ潰れるネタも今のガンガンの地位を見ると完全に外れちゃったしな
今やスクエニと言えば好調ですぐに安定した地位を確立したヤングガンガン
アニメ化+未アニメ化作品のヒットを成功させオンライン雑誌として初めて成功を収めたONLINE
むしろ時代の最先端になりつつある
ただ、ここまで伸びるとは誰も思わなかっただろうなと流石に思う。
たけくまみたいにすぐ潰れると思った奴の方が大半だろうな >サルまん連載時(バブル期当時)の漫画業界を評して、通用しないってことを、
>あの漫画は指摘しただけじゃないの?
そこまで擁護するのはちょっと行き過ぎ。
竹熊は宝島などで同様の漫画論を書いて、その後も漫画論を続けてるし
今では大学の漫画学部で教授をやって、漫画を教えている。
正教授になれたのはサルまんの功績が貢献したことは想像に難くないし
サルまんが復刻されたときも、そのまま刊行してる。
サルまん2.0で修正してくるかと思ったけど、メディアミックスだの
萌えだのをネタに自虐ギャグやってるだけだったし。
ギャグとしてやってる部分(裸になってデッサンのモデルになる、編集者のタイプ別に
ラストページをすり変える等)と、本気でやってる漫画論の部分(メガネ君が
必要、2は短命に終わる、音楽は漫画にならない、敵のインフレ等)と両方あるからな。
マジ漫画論の内容は、さくまあきらも似たようなことを書いていて(たぶんかなり影響されてる)
劇画村塾の漫画論あたりもかなり取り入れてるんじゃねえかな。 >>22
擁護なんてしてないって。なんか互いに主張がズレてる感じだな
擁護する・しないとか、竹熊の功罪とか、そういう話をしたいんじゃなくて、
旧サルまんは、連載当時の漫画界の有り様を描いたものだって言いたいだけ
旧サルまんが全般的に「漫画界の未来はこうなる!」って、推測してゆく
スタンスだったら、分析が外れたって非難されても仕方ないし、
2.0とかで何かしら発言しなきゃいけないと思うが、実際は、老年漫画とかを除けば
そういう部分はほとんどないんだから。
少年漫画なら、当時かひと昔前の少年漫画のベタネタを取り上げて、
「こういうパターンが多い」「こうすれば盛り上がる」「めがね君がいる」
的なことしか書いてない。
ちょっと極端なことを言えば、娯楽的な漫画業界ガイドブックみたいな感じw なんていうかな・・・このズレは、俺はサルまんというテキストのスタンス”のみ”について
「漫画界の未来や、絶対的な原理・法則を分析したものではなくて、
あくまで現在(90年前後)の漫画界を分析しただけの作品」
ってことを言いたいだけで、擁護もへったくれもないんだが、
あなたはテキストが世に与えた影響の功罪について語ってる感じだな。
それについてはまた別の意見があるが、長くなるので今回はやめとく 自分で書いてるじゃん。
「サルまん連載終了から10年近く経った、90年代末から2000年代からだし」
たかだか10年程度で崩れる理屈だったんじゃあ、たいした分析じゃなかったってことだよ。
作品論やアート論、方法論って大衆文化でも、10年くらいでズタボロになるようなら
それは底が浅かったってことだから。
漫画・読み物としては秀作だと思うけどね。 だから何年後に崩れたからどうこうってのはこのさい関係ないよ
サルまんの理論は、時代によって崩れる崩れないっていうことに価値を置いた
分析じゃないと思うから。
リアルタイムでその時の漫画、もしくは過去の漫画を分析したんだから、
それが未来において通じる・通じないで、是非が問われることは俺はないと思う
問われるとしたら、90年当時かそれより前の漫画業界をちゃんと分析できてたか?
だな(マジ部分において)。 レディコミは、当時もあんなのばっかじゃないって批判は当たってるだろうが、
一部のエロマンガもどきを皮肉るために、わざとやってる可能性も大だしなあ
それがもっと顕著なのは、なきの竜のみにパターンを絞った麻雀マンガ編
これをマジで当たってるかどうかって語るのはナンセンスもいいとこ 前に書いたとおり、俺はサルまんは実際はガイドブックのようなものだと思ってるから、
当然、ガイドする対象が変化すれば役立たずになるわけで、たとえば古い旅行ガイドブックを、
「10年後は街並みが全然変わっちゃったから、たいしたガイドブックじゃないな」
って批判は、まったくの的外れなわけで。
サルまんに、単なる業界ガイドブック漫画以上の、理論書としての価値を求めていて、
その理論がすぐ崩れたから、アレはたいしたことがないって意見もあるかもしれないが、
とりあえず個人的には同調できない。
基本、現在形で書かれたガイドブックごときにそんなものを求めても・・・ってスタンス >>27
未来でも通用するとも、不変の論理を説いていたとも、言ってない。
>>14ですでに「10年足らずで」と短期間で崩れるなんてダメな内容だったと
書いてるのに。
だれかが>>18の「通用しなかった」ってのを勝手に忖度して(>>20が)言い出しただけw。
>>15未来予測だの、>>19将来的に通用する、だの、>>24「漫画界の未来はこうなる!」って推測
だの、未来を予測したという意味合いをにじませたフレーズはみんなアンタのレスだよw?
単に「いま見るとハズレまくって,10年持たずに通用しなかったネタばっかじゃんw」と
笑ってるだけなのに,俺が「未来永劫普遍のものなのだ」と竹熊が主張していたと
解釈してると思いこんだ、アンタの独り相撲ですよw
調べてみたら、サルまんの連載開始が1989年で、ジョジョの奇妙な冒険・第三部も
1989年にスタートしてますな。
超能力を視覚化して一つの能力に特化させた異能ものの先駆けになるのかな。
「音楽ものは当たらない」とか、裏を返せば、そこに金の鉱脈が隠れてるかもしれないってことだよね。
音楽ものは当たらない、じゃなくて、漫画の表現形態では音をあらわす
表現はできない(から結果的にあたらない)だよ。
白黒で荒い印刷の漫画じゃ、ファッションを丁寧に描いても伝わらないから
適当な服装でOKとか、味は漫画では伝わらないからいくら美味しそうに料理を
描いても無駄と言ってるようなもんで、当時でも疑問符がついていたよ。
宮沢賢治など文学でも音は伝えられてるのに、漫画で無理なわけないからね。
たぶん竹熊がまったく音楽に縁遠い人間だからじゃないかな。 サルまんではバトル漫画をエスパー漫画と忍者漫画に分類してたけど
実際の少年漫画は両者が混在しているんじゃないかと思う
ドラゴンボールでは最初期に登場した残像拳やジャン拳、狼牙風風拳なんかは
どちらかというと忍者漫画的な修行による産物で、そこにエスパー漫画的な
かめはめ波が最後の切り札として同居している世界だった
それがインフレするに従ってバトルの内容がエスパー能力ばかりになっていく
元気玉は言う間でもなく、界王拳やスーパーサイヤ人のような肉体強化系から
武空術から瞬間移動に至るまで「気」という概念で説明されるようになった
忍者漫画はインフレ初期でしか機能せず、それが進行するにつれて
エスパーになっていくのでないか まあ、それも「ウソ」だけどなw ギャグとしては秀逸だったけど。
3次元をちゃんと2次元に還元して描ける画才があれば苦労しないから。
それに漫画やアニメとリアル人間の人体は全然違うし、椅子に座るだけでも
現実とはまるで違う。
漫画の通りに座らせると、空中に腰掛けたり、距離がムチャクチャだったり)
物理的な整合性は完璧なCGで作られた漫画やアニメが違和感満点なように、
見た通りに描いても妙な絵になる。 強さのインフレから異能バトル(一つの能力に特化)で頭脳戦に舵を切ったのかな。
JoJoくらいしか読んでないから分からんけど。
ダイの大冒険のインフレ防止策は上手いなーと思ったけどな
戦士とか魔法使いとかそれぞれ強くなる方向性を別にすることでインフレを防ごうとしていた ドカベンやあしたのジョー、巨人の星とかをみれば判るように
昔だって別にインフレになってないでバトルは続けられるんだよ。
ネタにされた当時のジャンプだって、私立極道高校でインフレになって
化け物にしか見えない巨大番長が出てくるというパロディをサル漫の前に
やってるわけで(しかも巨大番長の後には常識的な番長が登場して
実際にはインフレにはなってない)、「バトル漫画は対決を繰り返していくと
敵のインフレになって収集がつかなくなる」もサル漫という漫画の
ただのギャグだよ(笑) DBなんか極限までインフレしたけどな
鳥山明だからこそ上手くまとめられたけど他の漫画家だったら間違いなく破綻してる エリア88は、初期の段階で原爆が登場し爆発。いきなりフリーザ様が。
でも、あとは通常兵器での闘いになって、主人公や主要人物に絡む人間ドラマで
ぐいぐい読ませていたから、ある程度のレベルの漫画家なら可能なんじゃね?
途中で陸上空母なんて「巨大番長」が出てきたがw それでも宇宙に飛び出す
わけでもなく、より強い超兵器が出てくるわけでもなく、中東付近での
「戦闘機のどつきあい」という枠内で進んでいた。 >>37
いや、「見て描け」は『ピッチャー殺しの竜』を示して言ったセリフだから
3Dを見るのではなく、既成マンガ作品の絵を見て描けということだろ サルマンは別に未来を予測するための漫画じゃなかっただろ。
俺が個人的に一番好きだったのは麻雀漫画編。「なきの竜」みたい
なやつが「リーチ一発ポン」とか有り得ん手役でアガってるのを見て
超噴いた記憶がw >サルマンは別に未来を予測するための漫画じゃなかっただろ。
何言ってるんだ?
過疎スレなのにときおり意味不明な擁護を書き込むアホがいるな 各ジャンルごとのマンガの解析がマンネリ化してきて
サルまんもこれで終わりかと思ったら
とんち番長で再び盛り返したのを見て
このマンガは本物だと思った。 とんち番長だけになった3巻、売れてなかったものなあw
「ムジナ」は、忍術漫画のパロディとメタフィクションとして成功させてるので
相原コージに完全に任せて描かせていれば、とんち番長も単独で読めるほど
面白かったかもよ。
とんち番長不評だったの?意外だなあ。
話を面白くするためにテコ入れしたり、アニメ化決まったら勝手に改変されていたり、
人気が出たらやめたくてもやめさせてもらえず
結果話が破綻して作家が壊れていくさまなど生々しくて面白かったけどね。
とんち番長編は、編集王とは違ったテイストの業界残酷マンガという感じだった。 49がそこに並べた例は当時でも陳腐で、すでにいろんな漫画でパロられてたし
相原自身がすでに何度もネタにしていたことだから。
パロディじゃないストレートな漫画家残酷ものだって、これまで有名漫画家が
なんども描いてきたし。
モデルになった作家が頭に浮かぶ編集部の仕切りで生まれた操り人形のヒットメーカーだとか
再販制にまで斬り込んだ編集王(合掌)とは格が違うよ。 税金対策がローンで豪邸建てて終わりってのもつまんねー話だったな
身内を雇って事務所作るとか色々書けるだろ。ただのギャグにしてもつまらない 前半の青山のぼるや巨人編集者の話が荒唐無稽で異常に面白かった。
番長編は実際にあった俺でも知ってるレベルのギョーカイ話を
脚色したいわば「楽屋ネタ」じゃん。そら落差が大きい。
俺はサルまんは一巻だけなのかと思ってた。
その後二三巻買ってこんだけ失望させられた漫画も珍しい。 漫画大賞受賞に名作なしで佳作に有望多しはちょっと目から鱗だった 変なペンネームは成功しない、本名で勝負しろってのもハッとしたなあ。
まあ、よく考えたら、ゆでたまご、黒十字社、山止たつひこ、モンキーパンチ、千之ナイフ ・・とたくさんいたし
その後も東周斎雅楽、つの丸、漫☆画太郎、ウヒョ助と有名人もじりも含めてたくさん出現したので
いい加減な話だったけどなw 小林よしのりが名前なんて結果の末に輝くもんだと言ってたが
名言だと思う。俺がガキのころ「ゆでたまご」ってペンネームは
ほんとに光り輝いてたんだから。
まああまり奇をてらったペンネームにしたらあとで後悔する
ってのは間違いないけど どうせ売れっこないんだから本名でいいやとやって
大ヒットした時、大量のイタズラ電話に悩まされた鳥山明の例もあるけどな 鳥山って珍しい名字だよな
リアルではそんな名字に接したことないわ >まああまり奇をてらったペンネームにしたらあとで後悔する
いや、これも小林よしのりの言うように結果論だよ。売れたら名前がついてくるので
逆に「このペンネームだから良かった」ように見えてくる。
司馬遼太郎だって売れず駄文と妄論を書き散らす3流作家のままだったら
「こんなDQNペンネームをつける奴だから、クズ原稿しか書けないんだなあ」と言われてる。 司馬遷に遼かおよばずってのは漫画でいえば手塚先生の
せめて足元にちかよりたいという足塚茂道みたいな感じかな?
それはそうと秋本治に変えず山止たつひこのままだったらかなり残念な
イメージはあったと思う。 ペンネームや作品名は売れた結果輝くというのは最もで
世間からはそれで何恥じることなく認められるけど、
それでもやっぱり作家本人は言わないだけで後悔してると思うよ。 漫画家のインタビューでペンネームの由来は必ず聞かれることだし
有名漫画家ならペンネームにまつわる逸話や付帯するエピソードは
ファンによく知られているけど、後悔してると推測されるような
売れっ子漫画家は想像つかないなあ。
だいたい良くないと思ったら、普通は初期に改名するだろ。
実際、初期のペンネーム(や、デビュー時は本名)を諸事情で改名した人は
秋本治や松本零士のようにけっこういる。 >>27>>29>>30の辺みたいな話もあるが
寧ろこれらは後年に、「○○は無理」に対してそれを鉱脈として挑み成功させた
漫画家・編集者を純粋に称えればいい話だと思う。
実際連載中は、まあまあ「なるほど」と納得して受け取られていたわけだし。
例えば「2は流行らない」 確かに2が流行ったものは少なかった。
終わるからには人気だったものも作風絵柄がもうお腹いっぱいになっているからだろう。
それを咀嚼して、今の当たってる「2」はワンサイクル、20年でも後に始めることにした。
そうすることで「懐かしい○○が帰ってきた」と受け入れられるものになった。
そういうものがヒットしている。
こんな感じじゃない? 当たらないといわれたジャンルで当てたので有名なのは
歴史もののベルバラ、バスケのスラムダンク、剣道の六三四の剣とかが
有名だよな。まあ不毛と言われるジャンルから掘り起こすには
並外れた実力が必要ってことじゃなないだろうか。
それはそうと今日、たたかえラーメンマンの最終巻を立ち読みした
んだが、あとがきにゆでが「今までに空手漫画はあったけどカンフー
しかも中国の漫画はなく、そんなもの当たるはずがないと
言われました。ふたをあけてみれば大ヒット、カンフー漫画が
他誌に氾濫しました」と自画自賛してたがどうも違うような気がする。 駅伝ものの奈緒子
演歌ものの俺節
ブルーカラー労働者青春もののツルモク独身寮
田舎の外国人妻もののアイリーン
将棋ものの月下の棋士
キュレーターもののギャラリーフェイク
楽屋おちもののサルまんと編集王
住宅事情ラブコメのりびんぐゲーム
おもしろいジャンル狙いはそれこそ
サル漫がやってた頃前後のスピリッツが実に豊富だと思う
竹熊は本当に終わったな。
発想が陳腐で、そのくせ上から目線で時流にコメントしようとする。 漫画家のトレス疑惑ってのが時々ネタになるけど、「見て描く」のとはどこに決定的な違いが
あるのかよくわからなかったりする サルまん2.0って、ぶっちゃけ何を目指してるのかよくわからん
前作は読者に(建前的は)漫画の描き方や業界話をレクチャーしつつ
読者というか作者の分身が裸一貫から超売れっ子漫画家にのし上がりそして没落する話だろ
2.0は没落した大作家が再起する話?どの層の読者が共感するんだそんな漫画 なんでオモロイの?
の相原は気の毒だった
編集者は腹を斬るべき なにがオモロイのは相原自身が言いだしっぺとちゃうんかあの企画は 最近この漫画を読破してみたいと思ったんですが、何冊か単行本が出てるみたいですが
内容はそれぞれ全部ダブってないんでしょうか?
どれとどれを買えば全話読めますか あいはらの
けつは
まったく
しりの穴
てんじんさまの
おとうりだ
めいっぱいきばって
でてくるよ
とうきびまじりの
うんこちゃん >>83
サルまん2.0は単行本化されてないからアレだけど、
元のは愛蔵版2冊でいいんじゃないかな。 >>88
初版刊行の
「AKIRA並みの度を超した超大型版」
「オマージュに溢れた滅茶苦茶なカバーデザイン」
「眩暈のしそうなこってり暑苦しい表紙画」
愛蔵版は初刊からはちょっとばかり増補してるけど
あのインパクトは忘れられない。
これから読む読者はその辺りが味わえなくてかわいそう。 >>89
初版は素晴らしかった。
ケイブン社みたいにポケットサイズなら
もっとよかった。 竹熊はすっかり痛い老人になったな
このまま無能な学生の中でお山の大将として死ぬのか 頑張って気違いぶろうとしてるけど、もう若い頃のエネルギーがないから痛いだけ >>96
正式発表の前にリークする馬鹿竹熊
だから周囲の人間が次々と去っていくんだよな プルトニウムはふりかけにしても大丈夫ネタやってたな >>68
氾濫したのが本当なら、ゆでじゃなくてブルース・リーとか、ジャッキー・チェンとか
リー・リンチェイなど映画俳優のおかげだろう。
>>99
ページの隅っこに「危険っていうやつはバカだね!」とか書いてあって今思うと笑えるな。 結局、哭きの龍のパロディの「カモノハシ」と
キャラクター設定のところのシュンーワ゛ワ゛ワ゛ワ゛ワ゛…というのは謎のままなの? あの編集長のスタンプ。
懸賞で当たったなあ。
貰って困ったものだ・・・ Zの後書きでコージ苑以来25年ぶりに増刷かかったって書いてたけど、
「サルまん」って増刷かかるほど売れていなかったのかなあ。 こんなスレがあったのをたった今見つけて、過去ログをテキトーにざーっと見て、テキトーにレス。
ペンネーム云々の話だけど。
ペンネームも本名も同じだと思うんだ。
生まれたばかりの赤ん坊につけられた名前には意味がない。
いや、親は意味を含んで名付けたのだろうが、世間的にはただ名前でしかない。
しかしその赤ん坊が大きく育っていくにつれその名前に意味が増えていき
その名前=その人、という図式になる。名前でそれが誰なのかわかるようになる。
変なペンネームは書き始めた時点では変なペンネームでしかない。
よい作品を生み出していく事で、
その変なペンネームの作者がどんな作品を描くのかわかるようになっていくんだ。
スタートする時点の名前なんてどうでもよくて
その後にその名前にどんな意味があるかはそいつの活躍次第。 >>105
一見さんを寄せ付けない絵柄だしな。
スピリッツで読んでた俺みたいなのは皆買ったんじゃないかと思うんだが。 思えば、コージ苑、猿マンを頂点として、後は何もろくな作品を描いていない。 竹熊はともかく
相原コージはそれなりの仕事をしているよ >>110
竹熊にしても岡田にしてもオタとしての蓄積はそれなりにあるから
一花みたいなものは咲かすことが出来たんだろうけど、続かないんだよね
所詮は受け手側の人
ま、竹熊ンも岡田といっしょにされては興だろうがw 他人を嘲笑したり暴露話して自己アピールできた快感に溺れ
時代の変化に対応できず失墜した80年代的存在はみんな自業自得。
自分には何もないことに早く気づくべきだった。 >>114 おお情報サンガツ
最近のアイハラの単行本はやたらと単価が高いな…
それだけ初版の部数が少ないんだろうけど いろんな理屈をつけて自分の恥部を金に換える恥ずかしい人たち 竹熊はともかく、相原にとっては思い出したくもない恥ずかしい思い出だとばかり思っていたが
違うのか。 マクマホルニクスが最も強く体現されていたことを評価されてもいいだろう。
哲学後進国といわれるアメリカにおいて、経済哲学という実学に結び付いた哲学が
結果として1930年代にハウキイやマクマホンの経済哲学理論を産んだ事実だ。
それらは戦後世界哲学会議の論調を実質支配したテオプスにとって、
特にアメリカ哲学界の代表的論客であるジーン・パーキーが結びつきを深めたことで影響力を強くした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています