227100戦士2019/03/13(水) 04:30:38.17ID:TThlI54K
●「魏志倭人伝」には「倭人は海に素潜りして魚を捕る」「倭は小島が点々とした所である」「一夫多妻制で、
女の人は嫉妬深くない」「女性の王を立てる」とある。邪馬台国の文化・風俗は南方、東南アジアの影響が強い。
「南至邪馬台国水行十日陸行一月」の記述通りに進むと南の海の果て、一説にはフィリピンの東の海上に辿り着いてしまう。
また、「倭国は(晋の首都)洛陽からの距離は一万七千里」ともある。
15世紀に朝鮮半島で描かれた世界地図の「混一彊理歴代国都之図」にも日本列島は本来の位置より遥か南に描かれている。
「親魏倭王」の金印が出土すれば邪馬台国の位置比定の決定的な証拠となる。

●結論、「邪馬台国はインドネシアのジャワ島」。

http://wave.ap.teacu...sancejapan/1591.html
http://mugentoyugen....08/12/post-bce8.html
●「日本人のルーツはインドネシア人だった」
http://indonesiajijy...08/blog-post_31.html (その1)
http://indonesiajijy.../08/blog-post_3.html (その2)
http://indonesiajijy...08/blog-post_16.html (その3)
http://indonesiajijy...13/08/blog-post.html (その4)

●神武東征は史実であり、邪馬台国の東遷を表わしていると言う人がいる。
234年に磐余彦尊が日向(宮崎県)から東征に出発。東征のルートは、高千穂(宮崎県)→宇佐市(大分県)→北九州市(福岡県)
→安芸郡(広島県)→岡山市(岡山県)→東大阪市(大阪府)→中河内郡(大阪府)→泉南市(大阪府)→和歌山市(和歌山県)
→新宮市・熊野市(共に和歌山県)→吉野(奈良県)→宇陀(奈良県)。そして241年、神武天皇建国。
神武天皇の東征を支えたのは「八咫烏」と呼ばれた賀茂氏(陰陽道)の「賀茂建角身命」。
熊野神社の社紋も「3本足の烏」で、東征の道筋は今では「熊野古道」として残されている。八咫烏は賀茂氏の集団。
日本書紀によると、初代から4代までの天皇の後ろ盾は賀茂氏(八咫烏)が務めている
(5代天皇からは尾張氏がつき、崇神天皇の辺りからは物部氏が天皇家の後ろ盾になっている)。