(>>545続き)
すぐさま日直が教室を飛び出して養護教諭を呼びに行ったが、その間にI婆はケロっとして立ち上がり
紅潮した顔で 「私は何もしてないのに暴力ふるったねぇ」と怒鳴り(嘘つけ、しただろ?)、
養護教諭もかけつけてきて2人がかりの教師からフルボッコの説教された。
その日は罰として給食が当たらず、皆は自由時間の中、校長室に連れて行かれ校長先生やI婆からも絞られた。
自分が嫌がらせで悪臭ガスを吐きかけた事は口を噤んで、俺が殴った事だけチクるとは
どこまでも卑怯で厚顔無恥で被害妄想家の極悪婆だ。
俺の家への電話でも「注意したら逆上して殴られた」というホラ吹きチクリをしたらしく
その日はさらに家でも夕飯抜きで深夜迄父親母親の2人がかりでセッカンされた。
しかも俺の正当な言い分は一切聞く耳を持たず、ただパンチキックの嵐の虐待を受け続けた。
そのせいで翌日以降は腫らせた顔面で学校に行って、I婆は俺の顔の傷やアザだらけの身体を見せて
給食の昼食に加えて夕飯も2食続けて出なかった上に深夜1時まで怒鳴られ殴られ続けた事を言ったら
「当然でしょ、怒らない親がいる訳ないでしょ」と鬼の首でもとった様な面で話していた。
これにはまた煮えたぎったが、キレたらまた詰られるだけだと思ったのでぐっと堪えた。
4年に進級してまもなくのクラスメートの送別会で泣いている人がいて何故泣いているのか判らなかったので
何故か聞いたら殴られたのでやり返そうとしたが、相手が強すぎたためボコボコに伸されたのに俺が悪者にされた。
喧嘩両成敗、否むしろ先に手を出したのは相手なのに不可解だ。
なぜ彼が泣いてたかI婆に聞いてみたら「仲良い友達と別れるのが辛いから」と言っていた。
当時は仲良しの友達のいない俺にはその気持ちが解らなかっただけなのに、ますます疎まれてしまった。
俺の誕生日は3/29と同学年の中でかなり遅い方なので、皆と比べて見劣りするのは長い目で見てほしいと
I婆にも主張した事あるが『もう4年生にもなれば関係ない』と相手にして貰えず、
(当方幼稚園には行ったものの馴染めず1か月で退園勧告されて退園、その後は病院通いをしていた等のハンデもあり)
父親にも同じ事を主張したら 「甘ったれるな、できないなら人の何倍でも努力しろ」と理解を得られなかった。