操夫人の父は倒産した東京土地の社長青山芳三であるが、倒産した東京土地の残務整理のため
青山家に通っていた上林国雄によると、堤は零落した青山家の姉妹四人をすべて“愛人化”しようとしたという。
青山家の長女は康次郎の好みからかけ離れていたためあとまわしにされたが、
あとの三人は美人ぞろいであった。康次郎はまず操のすぐ上の姉から手をつけた。
本当は操に強く惹きつけられた康次郎だったが、彼女があまりにも手強かったため姉のほうにいってしまった。
そして次が一番下の妹だった。この妹を康次郎が“自分の女”にしたのは、彼が36歳だったのに対して彼女はまだ16歳であった。
操との間に子どもを授かった何年かのち、姉と妹の二人も相次いで康次郎の子を身籠った。