小平・東村山・東大和part4 ★2
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んで?南無の宣伝してる奴は途中報告のレポとかやらんのか?w
俺的には21日はマイニチのほうが良いと思うけどな。
南無のカチカチ持ってる人達も大勢朝一から来てるしなw 南無
今日は享楽祭り
享楽機種が大回転
仕事早退してでも打つ価値有り 南無のマイジャグラーに居着いてる30歳くらいの無職数人の軍団は何者ですか? 大南無
今日は祭りっぽいな
スロが朝からかなり吹いてる
4円のパチも2万発近く出てる台もちらほら出てきてる
今日はバイトの店員がいつもの倍位いるのは何故?祭りだからか? 南無は外から間抜け面が丸見えだからなーw
urx2. nu/LB5K 南無の4円甘バラエティーにいる、リーマン風のハゲた中年のパチプロの人、いつもかなり勝ってるねぇ
あの人ガチプロじゃない?止め打ちめちゃ上手いよ
玉びっくりするほどバリバリ増えるし
でもハゲてんのに台をブラシで確保するところが笑えるんだよなぁw 南無の4円甘バラエティーに軍団来てるわ
軍団も調整良ければ甘打つんだな
珍しいわ >>17
以前は田無のモナコでよく打ってたハゲだね
ハゲなのにブラシで台確保するのが笑えるよな
パチプーなのにリーマンを装っているところも痛い つかあいつヘタだからw
釘見も止め打ちも
>ハゲなのにブラシで台確保する
それにトイレは必ず個室に入る。立ちションできないみたい
軽い精神異常者だね >>10
ニートwwwwwww
いい歳して恥ずかしいwwwwwww >>24
オイオイ、ニートじゃねぇから!パチプロだから! >>25
ぷぷぷ(笑)
パチプロ(笑)
ほんと必死すぎてあいつら笑えるよ(笑) あの年齢で無職はまずくない?
今後どうするつもりなんだろ >>27
清掃要員などスキルなくてもできるド底辺の仕事でもやるんじゃね?
汗水流して金稼いだこと無いからすぐに嫌になって辞める確率99%
退職金や年金も無いから最終的にはホームレスとなりジ・エンド(笑) 生活保護で月10何万もらって悠々自適だろ
日本はクズが得する社会だからな
もしかすると今でももらってるんじゃないか 南無
連休前の餌巻き始まったっぽい
スロ456島
パチ 時給3000円超えちらほら >>31
嘘だったら立派な営業妨害になるから
とりあえず通報しておいたわ >>32
誰に対して、どういう理由での妨害になんの?それを誰に通報すんの?
そんな小学生が特撮の真実を知ってショック受けた時みたいな反応すんなよみっともないwww ハイハイ不都合な話になるとすり替えるのね
大事なのは、ナムが閉店だって事だ これマジでデマだったら完全に営業妨害じゃんな。誰になんのとか屁理屈で回避出来るような話じゃない。 もしかしたら、契約上の問題で閉店するのはもう数週間くらい先になるかもしれない
いずにしても、そういう畳む前兆の営業してるのは見れば分かるっしょ >>37
10月閉店とハッキリ断言した以上どんな理由であれ間違っていたら営業妨害になる
通報されたみたいだから書き込んだ人は覚悟しておいた方がいいだろうね
記録が残ってしまっているから言い逃れは不可能 >>38
>通報されたみたいだから
パイセン!その情報はどこで仕入れたんでぃやんすか?wwww
おまえ、いちいち反応が中2みたいで面白いわw >>39
>>32に書いてある
必死に火消ししようとしてるようだけど書いた本人?
あと10日だからソワソワしてきたか
まぁ自業自得だからどうしょもないよな >>40
何の火を消すんだよwwww
それ書いたのだっておまえだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>41
何か勘違いされているようだけど自分は>>38と>>40しか書いてない
>>31からの流れを普通に読んで思ったことを書いただけ
最終的にどういう結果になろうが自分には関係ないからどうでもいいんだけど
「w」を多用する人とは話が上手く噛み合わないから残念 >>42
wの意味もわからないのに、wを活用することが推奨されている5ちゃんはみてるんだwwwww
自分の矛盾に気持ち悪くならないのか?w 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
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そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
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小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
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オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
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そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
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驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
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そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
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オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
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そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
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そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
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結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
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「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
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そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
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そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
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小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
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そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
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驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
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「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
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だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
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そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
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そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
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驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
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結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
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もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
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それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
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驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
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そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
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そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
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そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
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「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
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そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
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そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
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そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
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もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
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驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
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小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
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そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
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オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
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オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
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そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
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驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
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そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
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それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
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驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
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そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
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そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
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またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
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そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
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だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
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それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
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でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
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そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。 平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
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