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千葉県野田市のパチンコ屋 [無断転載禁止]©2ch.net
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0654名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/19(日) 15:25:11.58ID:1bnJJEjc0
店員も減って呼んでも来るの遅くなったな一
当然、出玉はすずめの涙
やめて暫くして見に行くと10数連チャンとかバカにしてるので撤収
長く居るとろくな事が無いのは百も承知
0656名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/21(火) 04:02:48.01ID:SsgDO9FA0
パチンコファンが店に感謝する日なのか?負けたわ
0657名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/21(火) 17:39:15.42ID:jGnIxgst0
お客さんいつも納金ありがとうって店が感謝しながら型落ち家電等のゴミ配る日だよ
0658名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/22(水) 13:43:39.32ID:Dsm4uf9A0
愛菌は終わってるwガラガラw
0659名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/23(木) 08:51:46.99ID:uRoflc8D0
中華元祥ってチャーハンもいろんな種類あるんだね
0661名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/24(金) 16:34:00.48ID:G0XhLaX00
マミーマート12月1日オープンだってさ
0662名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/26(日) 09:31:54.94ID:mUT/hBpt0
へ〜
0666名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/28(火) 13:12:01.40ID:gQmGikmq0
マミーマート12月1日オープン
0668名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/30(木) 10:40:02.86ID:w4o5XxgF0
マミーマート明日オープン
0670名無しさん@お腹いっぱい。
2017/11/30(木) 21:39:19.87ID:669QcohO0

キコーナは個人遠隔してる店だから打ちたくない
0671名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 07:29:24.64ID:A9uZkTaS0
愛宕宇宙て潰れたの?
Pワールドから消えてる
0672名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 09:40:44.78ID:rBl6fN3t0
>>550
【パチンコ】上納金を巡る脱税事件で特定危険指定暴力団・工藤会関係者「工藤会系組長が、大手パチンコ店運営会社側から5千万円を受け取ったと聞いた」と証言 福岡地裁
http://a★sahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1511313575/
0673名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 09:51:15.95ID:A6OnT8VE0
愛宙どうなってんだ?
0674名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 18:03:37.19ID:8VFJ7f4oO
国際センターどうですか
0675名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 18:03:44.74ID:A9uZkTaS0
>>673
普通にやってるね
0676名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 18:26:33.34ID:DCpYWrpD0
まで
0677名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 18:26:54.69ID:DCpYWrpD0
まで
0678名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 18:26:54.46ID:DCpYWrpD0
まで
0679名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 18:57:38.96ID:b+HdX/oo0
船形、たなの京子は大泥棒。
妹富子は共犯者、1000万の詐欺事件。


船形たなの泥棒一族は師走もパチンコ三昧!
0680名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/01(金) 20:39:25.45ID:A6OnT8VE0
>>675
何だ!やってんのか?P-WORLDから消えたって言ったの誰だ!
0681名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/02(土) 03:17:42.53ID:5OgxMkJy0
>>680
消えてるのはほんとだよ
0682名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/02(土) 12:32:11.46ID:m/8vJVDK0
もっとパチ屋は潰れていいよ
0683名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/02(土) 15:01:54.27ID:m/8vJVDK0
マミーマート グランドオープンのわりに高いな
0685名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/03(日) 16:45:44.96ID:Ep0Ub0t60
なんで愛宕宇宙やってるの?
0687名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/04(月) 18:03:21.27ID:16uRXfGK0
うん国際センター回りますか?
0688名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/04(月) 18:35:23.96ID:iyUAqEgE0
野田ってパチンコ屋多いよな
0691名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/05(火) 00:06:42.88ID:tI0i5WtP0
宇宙は、愛宇の他にも数店舗消えてるな
0692名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/05(火) 07:50:46.74ID:ZXWwlGrl0
>>691
どこ消えてますか?
0693名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/05(火) 14:48:44.13ID:lO19BbvK0
こういう自分で調べようともしない奴って何なの馬鹿なの?
目の前の箱で検索しろよ
0694名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/05(火) 20:19:07.34ID:LuaGubRC0
箱w
0695名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/05(火) 21:24:44.97ID:Z5WaSvad0
>>693
あんだてめえ
0700名無しさん@お腹いっぱい。
2017/12/23(土) 20:16:59.30ID:XIOxbGTR0
お前らまだ辞めないの?
0702名無しさん@お腹いっぱい。
2018/01/11(木) 17:24:10.08ID:d+9w2A2g0
パチンコ負け額早見表

一か月平均  1年間  2年間    3年間    5年間    10年間
5万円    60万円  120万円  180万円  300万円  600万円
7万円    84万円  168万円  252万円  420万円  840万円
10万円   120万円 240万円  360万円  600万円 1200万円
0703名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/01(木) 07:00:14.39ID:fGYGGGjF0
愛宇のショートヘア店員のおまんこの中にたっぷり精子出してあげたい
0704名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/01(木) 07:28:28.26ID:fGYGGGjF0
>>375
勝ってんじゃねえよ
0705名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/01(木) 20:24:37.27ID:5Qb13WV10
国際のが針より回るじゃん
0708名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/08(木) 14:21:12.65ID:epUSZmTX0
煽っても行く人いないですから
0710名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/11(日) 22:01:47.18ID:8ZupyWJY0
愛宇のショートヘア店員のおまんこの中にたっぷり精子出してあげたい
0711名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/13(火) 05:18:50.47ID:UmIEORCL0
>>672
【社会】パチンコ出玉3分の2程度に、2月1日から施行・・・警察庁★3
http://a★sahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1517557926/

パチンコ出玉3分の2程度に 改正風営法施行
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1517440445/
0712名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/14(水) 15:48:48.33ID:m2DSEOmZ0
>>711
まじかよ
0713名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:07:28.31ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0714名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:07:48.84ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0715名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:08:04.15ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0716名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:08:19.77ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0717名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:08:36.18ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0718名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:08:52.48ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0719名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:09:09.42ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0723名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:10:45.22ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0724名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:11:01.43ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0725名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:11:17.91ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0726名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:11:34.34ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0727名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:11:50.70ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0728名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:12:07.13ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0729名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:12:23.52ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0733名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:13:49.14ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0734名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:14:05.37ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
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筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
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もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0735名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:14:21.94ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0736名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:14:38.25ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0737名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:14:54.56ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0741名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:16:19.18ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0742名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:16:35.50ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0743名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:16:52.05ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
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筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
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もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0745名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:17:44.02ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0749名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:19:15.72ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0750名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:19:32.12ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0751名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:19:48.74ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0752名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:20:05.70ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0755名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:21:12.70ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
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筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
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もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0756名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:21:29.08ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0757名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:21:45.63ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0761名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:23:09.29ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0762名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:23:25.61ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0763名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:23:41.93ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0764名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:23:58.37ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
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筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
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もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0767名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:24:47.53ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0768名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:25:03.95ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0769名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:25:20.28ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0770名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:25:36.67ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0773名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:26:25.63ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0774名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:26:42.03ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0775名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:26:58.35ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0779名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:28:19.44ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0780名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:28:35.63ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0781名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:28:51.91ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0782名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:29:08.34ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0785名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:29:57.16ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
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もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
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そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
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PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
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ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
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すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0787名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:30:49.21ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0788名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:31:05.55ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0791名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:33:55.17ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0792名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:34:11.42ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0793名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:34:27.93ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0794名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:34:44.11ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0798名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:36:07.94ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0801名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:36:56.82ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0802名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:37:13.29ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0803名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:37:29.63ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0804名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:37:45.77ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0807名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:38:34.83ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0809名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:39:27.17ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0810名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:39:43.77ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0813名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:40:33.05ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0814名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:40:49.26ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0817名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:41:39.83ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0818名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:41:56.19ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0820名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:43:03.29ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0821名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:43:19.51ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0822名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:43:35.79ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0825名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:44:25.03ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0827名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:45:17.96ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0828名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:45:34.38ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
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敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0831名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:46:23.30ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0832名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:46:39.49ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0833名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:46:56.84ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0837名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:48:19.44ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0839名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:50:00.60ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0840名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:50:41.65ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0843名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:51:30.72ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0844名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:51:47.18ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0845名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:52:03.53ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0846名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:52:19.62ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0849名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:53:08.80ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0851名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:53:41.49ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0852名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:53:57.89ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0856名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:55:03.16ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0857名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:55:19.85ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0858名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:55:36.23ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0861名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:56:25.59ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0862名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:56:41.90ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0864名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:57:36.55ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0867名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:58:25.57ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0868名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:58:46.23ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0869名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:59:02.43ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0870名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 15:59:18.90ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0875名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 16:00:41.61ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
0876名無しさん@お腹いっぱい。
2018/02/17(土) 16:00:57.80ID:sIZg7R1d0
すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、
ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。
そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。
「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。
つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。
でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。
この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。
早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。
若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。
昔のスポーツ界は芸術界のように天才の出現を待たねばならなかったが、現在は少し違う。
もちろん才能があることは大前提だが、トレーニング理論や技術論が確立され、先人の背を追いやすくなっているのは間違いない。
学問のようにある程度までは誰かが踏みならした道を歩き、そこから先を自分が切り開いて後に託す。
高校野球で150kmを計測する投手が珍しくなくなったのはその良い例だ。
松坂の存在感は別格だ。松坂の投球は人の心を打つ。
沖縄県北谷町。アクセスが良く観光名所もある割にはのどかだったキャンプの風景が、今季は一変した。
報道陣は5割増し、急きょ作った松坂グッズは即日完売し、松坂も可能な限りサインに応じている。
ブルペンに入ればわずかなすき間から投球フォームを見ようとし、サービスも兼ねてランチタイムに特打をやれば柵越えに拍手喝采を送る。
そんなフィーバーはあらゆるメディアで伝えられている通りだ。
筆者の周囲にも「松坂を見てきます」と初めてのキャンプツアーに出掛けた人がいるし、
「ウチの大輔は元気にやっているの?」と身内のように気をもむ人もいる。
もちろん、ダルビッシュや田中、大谷がキャリアの最後に中日を選んだとしてもファンは殺到することだろう。
だけどファンそれぞれの「温度」や「思い入れ」は果たして同じだろうか。
20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。
PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、
敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。
そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。
プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。
球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。
PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。
わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。
世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。
ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。
その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。
人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。
チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。
同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。
DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜−PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。
このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。
後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。
すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。
右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。
復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。
20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。
もう一つは右肩ならぬ右手首の不安だ。     
連日のようにサイン会を開いたり、ワゴン車に乗り込むわずかな時間でもサインを惜しまない松坂の神対応ぶりについて
「ロッカーや球場の裏でも暇さえあれば、毎日250枚以上はサインを書きまくっている。けんしょう炎になってしまっても不思議はないよ」
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