筋から言えば、外れているので問題にしたくもないのだが、
理論・学が成り立つためには論理的な記述が必要であり、
科学であるためには反証可能性なテーゼに立脚しなければならない。
ということを前書きして、
敢えて、>>49の欠陥を指摘すれば粗雑に過ぎる。
>科学的な学問の原理を利用すれば、その結果を予測することは可能である。
という部分
極めて大雑把に言えば、これには2つの問題がある。
一つは、予測のための計算量の問題。加えて現在の系の状態を把握するのに測定が必要だが、ある属性値を求めればそのために犠牲になる他の属性値が存在するというということだ。
もう一つは、どうしても理論的な体系においては、真偽の決定できない命題が含まれてしまう。拡張された新たな理論体系を建設しなければならないが、当初から、全てを見通しを立てた理論など望みようはない。常に新しい経験を人類が積み重ねる必要がある。
>>47は、全ての学問的な理論が成立しないとは述べてない。
簡単にはマクロ経済モデルで制御出来ない世界になったとの感慨を述べているだけ。
>>47が愚かであろうがそうでなかろうが関係ないことだ。
愚かだからそういう場合もあるだろうし、そうでなくてもそういうこと述べるかも知れない。
経営学と経営の実際は関係付けて考えることもできるが、全く、別のことだったりする。
今座っている場所の夕日がまぶしかったりてなことが、
その場での部下への指令に影響してなかったかは誰も知るところではない。
ある種の確率分布を仮定したブラック=ショールズ式で株式の将来をある数値範囲で予測できるらしい。
世界中のデータのあり場所とネットワークを組み、計算をリアルタイムに行うことは今では造作もなくできてしまいそう。
だが、そんな、ネットワークシステムのノード間のバトルが安定的な推移を辿ると考えられそうもないw
ある種限定された範囲での極めて精密な制御さえ可能になった現代科学技術あっても、
マクロレベルでは確率的なアプローチでしかことに当たれない。
定性的な妥当な傾向さえ本当は掴み得ないのではないか?