プロ野球監督みたいな学校の先生
07年度版・名監督みたいな学校の先生。
星野監督みたいな先生:
「鉄拳制裁」と称して、生徒に体罰を加える。朝食を取らない生徒の登校を認めない。選手の女房ならぬ、保護者の誕生日に花束を贈る。
野村監督みたいな先生:
「ID野球」ならぬID教育で、受験校の入試問題を「野村スコープ」で分析する。授業でいつもボソボソと喋る。
やたらと生徒にノートを取らせたがる。女房が学級に口を挟んでくる。すぐボヤく。
南海時代の江本のときのように、生徒の茶髪・髭・ロン毛・ピアスを一切認めない。
「鶴岡監督にぶっ飛ばされた」ならぬ、昔の自分の担任への恨みを突然ぶちまける。
血液型占いに凝り、生徒の血液型で性格分析をする。
王監督みたいな先生:
ミーティングならぬホームルームが長く、いつも同じ話を繰り返している。教師をしていなければ、今頃電気技師をやっている先生。
クライマックス時期に弱い。
落合監督みたいな先生:
授業で「俺流」を貫き、生徒の成績を上げる。「俺は何でも知っている」という口調で自分の担当教科外のことに口を出し、同僚教師らに煙たがられる。
ヒルマン監督みたいな先生:生徒の成績が上がると「シンジラレナ〜イ」を連呼する。生徒の成績が上がると、故郷に帰りたがる。
バレンタイン監督みたいな先生:
「日替りオーダー」で、学級委員や掃除や給食などの当番を毎日変えたがる。
岡田監督みたいな先生:
学級で生徒版「JFK」を作り上げるが、JFKがいなければ単なる教師。
前任の教師の強いインパクトにイメージを掻き消される。
原監督みたいな先生:
「愛」「勇気」だのとクサいセリフを吐く。生徒の成績がよいのに、「人事異動」に振り回されやすい。
クライマックス時期に弱い。
伊東監督みたいな先生:
「オーナー逮捕」ならぬ理事長が警察署に捕まったり、自分のせいではない生徒の「裏金」問題などの悪影響を受けてしまうなど、悪い時期に担任になってしまう。長く続いた生徒の好成績を途絶えさせてしまう。地味。 かなり古い時代の監督みたいな学校の先生
三原監督みたいな先生:
教育に「魔術」を用いて、生徒の成績を上げる。「放任主義」を貫いて、生徒の私生活に一切干渉しない。
違う学校(学力が低い)・学級に赴任して、教育で結果を出して前にいた古巣の学校や教師を痛めようとする。
名生徒に対し、自分の実娘を嫁がせる。
水原監督みたいな先生:オシャレな格好をする。アメリカから進んだ教育システムを導入する。
口答えや反発してきた生徒を退学処分しないと気がすまない。
鶴岡監督みたいな先生:
「グラウンドにゼニが落ちている」ならぬ「教室にゼニが落ちている」と言って、生徒にハッパをかける。
「百万ドル内野陣」とか「400フィート打線」のような生徒たちの特質に合わせて学級組織をつくっていく。
しわがれ声。生徒に「バカもーん!!」とカミナリを落とす。
「八百長」ならぬカンニングなどの不正行為をする生徒を追放するため、全生徒を見渡せる位置で監視している。
川上監督みたいな先生:
「打撃の神様」ならぬ「学問の神様」と称される。「ドジャースの戦法」のような名教授法を取り入れる。
「生え抜き」や「子飼い」ならぬエスカレート方式で進学してくる生徒を好み、「外様」ならぬ転校・転入・編入してくる生徒を好まない。
生徒に訓話をしたがる。元担任に「もっこす(頑固)」と言われる。
西本監督みたいな先生:
いつも口をへの字にしている。生徒に指導する際、声より先に手や足が出てしまう。
体当たり指導で、熱血手作り学級をつくりあげる。
生徒に「自分と一緒にやりたいなら○、やりたくないなら×」という信任投票を行う。
理事長の意見にも耳を傾けずに、頑固なまでに自分の方針を貫いて、後に解雇される。
自分の担当教科以外のことはあまり知らない。
どのダメ学級・生徒を引き受けても、常勝学級・名生徒にしている。
藤本定義監督みたいな先生:
慢心している生徒に「茂林寺の千本ノック」ばりの猛勉強をさせる。
「ローテーション(当番などの)」を守りたがる。
おじいちゃん。 今の生徒は記憶していないと思われる頃の、名監督みたいな学校の先生。
広岡監督みたいな先生:
生徒に「白米食うな玄米食え」「肉食うな野菜食え」「牛乳飲むな豆乳飲め」と言って、給食の献立を変える。
選手のときもヤクルト監督のときも、突然怒りだして「職場放棄」ならぬ授業放棄をして帰ったり辞めたりしてしまう。
痛風のせいでスリッパを履いて授業をしたり、治療のために別の先生に自習を任せたりしている。
生徒には常に毒舌・辛口・頑固な指導方針で、「悪い物は悪い」という姿勢を崩さない。
大沢監督(親分)みたいな先生:
悪い生徒や同僚教師らに「喝!」と叫んでいる。
生徒に「べらんめえ」口調で話す。
孫娘をアイドルにしている。生徒の成績が低迷すると、保護者らの前で土下座してしまう。
「宮沢りえに監督をさせろ!」ならぬ「宮沢りえに教師をやらせろ!」などアイドルを担任にさせたがる。
「伊良部くらげ」のように、別の学級の生徒にヘンなあだ名をつける。江夏を特別扱いしたように、素行の悪い不良風の生徒を特別扱いする。
近藤貞雄監督みたいな先生:
「アメフト方式」とか言って、生徒を分業化させる。「これで学力が2割アップする」と言って、大洋内野陣「総コンバート」のように学級内の座席を席替えしてしまう。
首のシワを隠すため、ハイネックのシャツを着る反面、ジーンズを履いている。
金田正一監督みたいな先生:
すぐ乱闘を起こしたり、退場処分を喰らう。
「足を振り上げたところに偶然顔があっただけ」と屁理屈を言って、生徒の顔面を蹴飛ばしている。
「走れ走れ」主義で、生徒の筆記用具を持った手腕をやたらとランニング(書かせる)させている。
「かねやんダンス」などパフォーマンスがすごい。生徒時代、破ることが不可能な驚異的な成績を残す。
古葉監督みたいな先生:
壁から半分体を隠して授業をしている。
上田監督みたいな先生:
よく「ええで」と言う。家族の宗教信仰問題によって、突然職場を休む。
教師としての手腕が高いが、生徒の頃は成績はよくなかった。
藤田元司監督みたいな先生:
心臓が悪くて、ニトログリセリンを首からぶらさげている。「瞬間湯沸かし器」と称され、高校時代は番長だった。 今の生徒も記憶に残っている名監督(名将)みたいな学校の先生。
仰木監督みたいな先生:
生徒版の野茂やイチローのならぬ、世界的生徒を発掘する。枠にはめない教育をする。
ストレスがたまると、「せからしか(うるさい)!」などと金八先生の九州弁ばりの言葉が出てくる。
自ら亡くなる寸前まで、病を伏せながら何とか教壇に立っている。
若松監督みたいな先生:
流行語「ファンの皆様、おめでとうございます」ならぬ「父兄(保護者)の皆様、おめでとうございます」と言う。
「自分の専門外のことは他のコーチや古田に任せているから」ならぬ、自分の担当教科以外のことは他の教師や学級委員や学習委員などに任せきりにしている。
胴上げされると一回転してしまうほど、背が低い。口下手。すぐ泣く。道産子。
休みの日はビールを飲んで酔っ払っている。
梨田監督みたいな先生:
「開幕戦オーダーファン投票」ならぬ、始業式に保護者に学級運営させる。
こんにゃくみたいな姿勢をする。
長嶋監督みたいな先生:
生徒の名前を読み違える。授業の時間や教室を間違える。成績が悪い生徒への「メークドラマ」を信じている。生徒に教えるとき、
「ダッ」「ガッ」「バーッ」など擬音を連発する。授業や進路指導「カンピュータ」で行う。
生徒の成績が低迷したり、生徒が不祥事を起こすと「ケジメ」をつける。
森監督みたいな先生:
オーナーならぬ理事長から「やりたければどうぞ」などと冷たい言葉を浴びせられる。
表情や話す内容がすこしも楽しそうでない。
髪を染めていたりピアスやロン毛などの生徒に「髪の色を変えるのは個性じゃない。個性は教室(授業)で見せればいい」と注意をする。
新米教師の1年目からいきなり名教師入りしてしまう。
毎日黒酢を飲んで健康維持している。
権藤監督みたいな先生:
よく頬に右手を当てて授業をする。
「肩は消耗品」と言って、生徒に黒板の字を板書させたがらない。
「やらされる勉強は身に付かない」と言って、放任主義を貫く。
伊原監督みたいな先生:
学級担任就任時、生徒に読書感想文を書かせる。
野村阪神時代のカツノリのように、教師の息子相手にも足蹴りを見舞うなど厳しい。
生徒の癖を盗む(見抜く)のが上手い。
東尾監督みたいな先生:
自分が一方的に悪いのに、絶対に誤ろうとしない。
自分の学級の生徒が、他の学級の先生に暴言を吐いてるのに、注意しようとしない。
麻雀などの賭博が大好き。
支離滅裂な授業や学級運営をするのに、崩壊しない。 >>4
西武監督時代の鈴木健やオリックス監督時代の川越のときのように、人が見てる前にも関わらず、平気で生徒を怒鳴りつける。
「コーチは嫌われ者でなければならない」「選手に好かれようと思ったら、お互いの成長が止まる」と言わんばかりに、
「教師は嫌われ者でなければならない」「生徒に好かれようと思ったらたら、お互いの成長が止まる」と言って、平気で生徒に嫌われようと公言する。
選手が理解できないくらい次元の高いプレーを唱えすぎて、当時低迷していたオリックス監督時代の選手らや西武コーチ時代の東尾監督に嫌われたように、
生徒が理解できないほど次元の高い授業をやり過ぎて、成績が低迷している生徒たちや同僚教師らに煙たがられる。
ルーキー清原が三塁を守っていた近鉄の金村にちょっかいを出されたときのように、
他の学級の生徒が自分の学級の優等生にちょっかいを出してくると、飛び蹴りする。
しかも、後にその生徒の教科担当になったとき「しごき倒してやる」と脅す。
見た目は優等生っぽいが、じつは武闘派(体罰教師)でクチが悪い。
オープン戦で英語で喋るバレンタイン監督に対し「じゃかましいわ。この野郎!!」と日本語で怒鳴り返すように、外国人教師に怒鳴りつける。
携帯電話を持ちたがらない。
選手の頃、大家から「選手辞めた後職探しに困らんように」と宅建受験を勧められ、1発合格したように、
若い頃、大家から宅建受験を勧められる先生。
生徒時代は目立った生徒ではなかったが、教師としては指導力が高い。 >>4
今の生徒も記憶に残っている名監督(名将)みたいな学校の先生。※改
仰木監督みたいな先生:
生徒版の野茂やイチローのならぬ、世界的生徒を発掘する。枠にはめない教育をする。
ストレスがたまると、「せからしか(うるさい)!」などと金八先生の九州弁ばりの言葉が出てくる。
自ら亡くなる寸前まで、病を伏せながら何とか教壇に立っている。
若松監督みたいな先生:
流行語「ファンの皆様、おめでとうございます」ならぬ「父兄(保護者)の皆様、おめでとうございます」と言う。
「自分の専門外のことは他のコーチや古田に任せているから」ならぬ、自分の担当教科以外のことは他の教師や学級委員や学習委員などに任せきりにしている。
胴上げされると一回転してしまうほど、背が低い。口下手。すぐ泣く。道産子。
休みの日はビールを飲んで酔っ払っている。
梨田監督みたいな先生:
「開幕戦オーダーファン投票」ならぬ、始業式に保護者に学級運営させる。
こんにゃくみたいな姿勢をする。
長嶋監督みたいな先生:
生徒の名前を読み違える。授業の時間や教室を間違える。成績が悪い生徒への「メークドラマ」を信じている。生徒に教えるとき、
「ダッ」「ガッ」「バーッ」など擬音を連発し、何を言ってるのか生徒は理解できない。授業や進路指導「カンピュータ」で行う。
生徒の成績が低迷したり、生徒が不祥事を起こすと「ケジメ」をつける。
森監督みたいな先生:
オーナーならぬ理事長から「やりたければどうぞ」などと冷たい言葉を浴びせられる。
表情や話す内容がすこしも楽しそうでない。
髪を染めていたりピアスやロン毛などの生徒に「髪の色を変えるのは個性じゃない。個性は教室(授業)で見せればいい」と注意をする。
新米教師の1年目からいきなり名教師入りしてしまう。
毎日黒酢を飲んで健康維持している。
権藤監督みたいな先生:
よく頬に右手を当てて授業をする。
「肩は消耗品」と言って、生徒に黒板の字を板書させたがらない。
選手に「俺のことを監督と呼ぶな。権藤さんと呼べ」と言ったように、生徒に「俺のことを先生と呼ぶな。○○さんと呼べ」と指示する。
「やらされる勉強は身に付かない」と言って、放任主義を貫く。
伊原監督みたいな先生:
学級担任就任時、生徒に読書感想文を書かせる。
野村阪神時代のカツノリのように、教師の息子相手にも足蹴りを見舞うなど厳しい。
生徒の癖を盗む(見抜く)のが上手い。
東尾監督みたいな先生:
自分が一方的に悪いのに、絶対に誤ろうとしない。
自分の学級の生徒が、他の学級の先生に暴言を吐いてるのに、注意しようとしない。
麻雀などの賭博が大好き。
支離滅裂な授業や学級運営をするのに、崩壊しない。 比較的新しい時代のダメ監督みたいな先生
古田監督みたいな先生:
「選手兼監督」ならぬ生徒兼教師。
離任する際、全校生徒父母らの前でマイクで「また会いましょう」と言う。
堀内監督みたいな先生:「蒼天の霹靂」とか「敗軍の将、兵を語らず」だの故事成語を使う。「仁志や河原の再生」ならぬ、成績が落ちた生徒の再生を狙う失敗する。
例えば、数学の先生なのに数学が得意でいた生徒をいじくり過ぎて、逆に数学を苦手にさせたり、数学好き・数学得意の生徒をつくれずにその学級の数学の成績を下げるように、
投手出身で、あれだけ評論家時代に投手や監督の采配に対し偉そうな解説
をしておきながら、
いざ自分が監督すると投手を育てられず、かえって防御率を下げてしまう。
ブラウン監督みたいな先生:
抗議Tシャツなどを作って着る。
中村監督みたいな先生:
オーナーならぬ理事長や校長に「スカタン」呼ばわりされる。暗い。
阪神時代の「亀山&新庄」やオリックス時代の「清原&中村ノリ」のような、不良・問題児を全面的に押し出す学級組織を作ろうとする。
山下監督みたいな先生:
スキンヘッドの先生。
石毛監督みたいな先生:生徒への指導の言葉が激しいため生徒らに離反され、結果教育委員会や理事会などに通報されるを降ろされる。
生徒の順番をジャンケンで決めさせる。
土井正三監督みたいな先生:
生徒版イチローの発掘を否定する。長嶋一茂のような同僚教師の息子などから「何様のつもりだ」と陰口を叩かれる。
名門校出身のため、地方校の教師に赴いた後、生徒らに自分の(名門)出身校の話をし過ぎて、煙たがられる。
吉田監督(ムッシュ)みたいな先生:
フランス帰り。エイプリールフールでバカな学級行事をやる。低迷している生徒らが多い学級のスローガンに「ハッスル、ハッスル、ハッスル」と掲げる。
鈴木監督みたいな先生:
野茂のような名生徒を追放する。
「投げたらアカン」「草魂」ならぬ、科学的な教育(教育工学など)を否定する。
佐々木監督みたいな先生:
意味のない「ヨッシャー」を叫ぶ。
達川監督みたいな先生:
授業中落とした自分のコンタクトレンズを生徒らに探させる。
金本のように、無遅刻・無欠席・無早退の完全皆勤賞でいる生徒を早退させてしまう。
近藤昭仁監督みたいな先生:
いつも成績が悪い学校や学級の担任を持たされ過ぎて、「今度教師をやるときは、名門校(成績が良い学級)の教師をやりたい」と漏らす。 今の生徒たちは知らない時代のダメ監督みたいな先生
金田正泰監督みたいな先生:
生徒に向かって「サル」など、06年度秋に福岡の中学で生徒を自殺に追い込む田村伸一教諭並みのあだ名を付ける。
生徒の悪口や生徒をダシにした嘘話は日常茶飯事。
生徒と永平寺で修行に入り、生徒ばかり修行をさせ、自分は大した修行もしていないのに、周囲に「悟りを開いた」だのと吹聴する。
中西監督みたいな先生:
生徒に「教師がアホやから勉強ができへん」と捨てゼリフを吐かれる。太っている割に気が小さい。
関根監督みたいな先生:
顔はニコニコやさしそうなおじいちゃんなのに、表情とは裏腹に、生徒への学習指導は休み時間を与えたがらないほど厳しい。
別所監督みたいな先生:
「ガッハッハ」と笑う。生徒の顔面を往打する。昔の世代の割に巨漢。「よこせよこせ、俺の所に持ってこい」と言って、生徒が残した給食を食べる。
中監督みたいな先生:
しょっちゅう自分の下の名前(漢字)を改名している。
根本監督みたいな先生:
他の名門校から優秀な生徒をヘッドハンティングしてくる。
田淵監督みたいな先生:
「がんばれタブチくん」のような漫画のキャラクターのような存在。
成績が悪い理由をあえて考えようとしない。
武上監督みたいな先生:
理事長や管理職につけ届けを欠かせない。
自分の恩師の先生の名教育法を真似する。
土橋監督みたいな先生:
さっぱりした江戸っ子。生徒を一時的に相撲部屋に入門させる。威圧感十分のため、生徒らに恐れられる。
村山監督みたいな先生:
泣き枯れているのか、いつも目の下にクマがある。血行障害がある。生徒時代は悲壮感漂っていた。
杉浦監督みたいな先生:
教師就任時、隠し子がいることが発覚する。
荒川監督みたいな先生:
生徒を「荒川道場」ならぬ、自分が運営する私塾やサークルに通わせる。
八木沢監督みたいな先生:
「ポーカーフェィス」というよりは単なる無愛想。毎日単調な授業しかやらない。 >>1
07年度版・名監督みたいな学校の先生。※改
星野監督みたいな先生:
「鉄拳制裁」と称して、生徒に体罰を加える(いわゆる体育会系教師)。朝食を取らない生徒の登校を認めない。選手の女房ならぬ、保護者の誕生日に花束を贈る。
いつもかったるそうに、首を回している。授業の最中、職場高血圧で倒れる。
野村監督みたいな先生:
「ID野球」ならぬID教育で、受験校の入試問題を「野村スコープ」で分析する。授業でいつもボソボソと喋る。
やたらと生徒にノートを取らせたがる。女房が学級に口を挟んでくる。すぐボヤく。
南海時代の江本のときのように、生徒の茶髪・髭・ロン毛・ピアスを一切認めない。
「鶴岡監督にぶっ飛ばされた」ならぬ、昔の自分の担任への恨みを突然ぶちまける。
血液型占いに凝り、生徒の血液型で性格分析をする。
王監督みたいな先生:
ミーティングならぬホームルームが長く、いつも同じ話を繰り返している。教師をしていなければ、今頃電気技師をやっている先生。
クライマックス時期に弱い。
落合監督みたいな先生:
授業で「俺流」を貫き、生徒の成績を上げる。「俺は何でも知っている」という口調で自分の担当教科外のことに口を出し、同僚教師らに煙たがられる。
ヒルマン監督みたいな先生:生徒の成績が上がると「シンジラレナ〜イ」を連呼する。生徒の成績が上がると、故郷に帰りたがる。
バレンタイン監督みたいな先生:
「日替りオーダー」で、学級委員や掃除や給食などの当番を毎日変えたがる。
岡田監督みたいな先生:
学級で生徒版「JFK」を作り上げるが、JFKがいなければ単なる教師。
前任の教師の強いインパクトにイメージを掻き消される。
原監督みたいな先生:
「愛」「勇気」だのとクサいセリフを吐く。生徒の成績がよいのに、「人事異動」に振り回されやすい。
クライマックス時期に弱い。
伊東監督みたいな先生:
「オーナー逮捕」ならぬ理事長が警察署に捕まったり、自分のせいではない生徒の「裏金」問題などの悪影響を受けてしまうなど、悪い時期に担任になってしまう。長く続いた生徒の好成績を途絶えさせてしまう。地味。 問題児
阪神学園・平成15年度・2年X組
担任:星野仙一
生徒:伊良部秀輝、下柳剛、上坂太一郎
読売学園・平成15年度・2年X組
担任:原辰徳
生徒:清原和博、元木大介、後藤孝志、吉永幸一郎
読売学園・平成16年度・3年X組
担任:堀内恒夫
生徒:清原和博、元木大介、後藤孝志、小久保裕紀
オリックス学園・平成18年度・1年X組
担任:中村勝広
生徒:清原和博、中村紀洋、前川克彦
そして、問題児生徒を一掃して…
読売学園・平成19年度・2年X組
担任:原辰徳
生徒:小笠原道大、谷佳知、門倉健、大道典嘉、小坂誠、野口茂樹
脱税やスパイ疑惑、無免許や轢き逃げ、交通違反など。 やや古い時代の問題児
ダイエー学園
平成11年度
3年X組
担任:王貞治
生徒:小久保裕紀
渡辺秀一
吉永幸一郎
大道典嘉
柳田聖人
阪神学園
平成4年度
3年X組
担任:中村勝広
生徒:亀山努
新庄剛志(SHINJO)
※=スパイ(カンニング)疑惑 >>5
07年の巨人宮崎キャンプで実戦形式のバント練習。当時、打席にはオリックスから移籍してきた谷が入り、
一方で三塁コーチにはマイクを持った伊原ヘッド(当時は野手総合)コーチが立っていた。
1球目はバスターバント空振り、2球目は見逃しストライク。すると、伊原コーチは打席の谷に、
「佳知クン、何してるの? いつまで打席にいるの?」とイヤミを言い放ち、観客は笑い出す。
そして、3球目はファウルフライに…すると、伊原コーチは谷に
「ハイ、交代」と厳しい声を飛ばす。
これについて、オリックス時代で伊原監督の下でプレーしていた谷は、不快な顔をしながら「いつものことだから…」とコメント。
谷は、02年盗塁王、03年には最多安打のタイトルを獲得。
伊原コーチがオリックス監督をしていた04年にはアテネ五輪のメンバーに選ばれ、当時は球界を代表した選手で、伊原オリックスの主力。現在ではベテランの域に達しプライドもあろう谷に、観客の前で笑いのネタとなるイヤミや暴言、そして叱責…
伊原コーチのやり方や暴言は、かつて西武時代(昭和57〜)の師に当たる広岡監督並みの暴言(田淵や東尾が例)。
もし、こういう先生が担任なら…
主力生徒、成績がいい生徒に人前で笑いとなるイヤミや暴言を放ったら… 学校教師が偉いという認識が社会的にあった昭和40年代半ば頃を考えると、たしかにプロ野球も監督は偉いという認識はあった。
三原監督のような先生なら「定石」にとらわれない「魔術」を用いた教育を施しそう。
川上監督ならホームルームで「訓話」とかを話しそう。
今の時代の教育現場では、そうした「奇襲」や「訓話」ができない。 >>15
ちなみに、「オヤジに世界のチャンピォンベルトを渡したい」と言うボクシング亀田興毅(亀田親子)について、
野村監督
「流石、チャンピォンを取るだけあって心構えが違う。我々の時代は親を楽させたいという思いが一流に〜」
※参・野村監督著「野村ノート」(05年)より
広岡監督
「あんな派手なパフォーマンスで、マスコミの前でバカげた言動・行動を取る事は、日本のプロスポーツ界の本質を損ね、発展を害し…」
※参・広岡監督著「野球再生」(06年) >>9
野村監督みたいな先生
野球間隔を長くしたり、やたら牽制やタイムをかけるなどダラダラして、試合時間を長くする(00年に巨人のメイが阪神の和田に威嚇球を放った事件が例)ように、
1時間の授業において、ダラダラ授業をやって、標準授業時間をオーバーさせる。 コリンズ監督みたいな先生
移籍してきた濱中に「Who?」と言ったように、転校生のことを「誰?」と言う。 平成20年度
オリックス学園
2年X組
学級担任 テリー・コリンズ
生徒 清原和博
アレックス・カブレラ
タフィー・ローズ
グレッグ・ラロッカ
濱中治(転校生)
古木克明(転校生)
清原、カブレラなど「肉体改造」で「筋肉隆々」
な筋肉番付
GTO鬼塚ばりの学級経営(チーム運営)。
コリンズ監督理想のオーダー
@中:村松
A遊:大引
B左:ローズ
C一:カブレラ
D二:ラロッカ
E指:清原
F右:濱中
G左:古木
H捕:日高 ちなみに巨人時代に絶対的な人気を誇った清原グッズも今やたたき売りで在庫処分を図る始末。
かつては清原コーナーとして指定席になっていた棚は、キティちゃんに
で在庫処分を図る始末。1%台とボロボロで6カ月で打ち切られてしまった
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┴────────┴ ミーティングでよくノートに書いていた「ヤクルトの選手は、大人だったが」
ミーティングでノートに書こうとしない「阪神の選手は子供だった」
授業でノートに書く生徒は大人だが、書かない生徒は子供だった。
ということか…?
実際、野村監督のように、昭和10年生まれ(今じゃ70歳以上)位の学校教師(中学・高校)は管理教育世代だから、「ノートに字を書く生徒はいい生徒」「ノートに字を書きたがらない生徒は悪い生徒」と称してたな
今の生徒は活字離れ世代だから、昔の生徒みたいにノートに字を書かない(書けない)生徒は、野村監督の言葉を借りたら、皆「悪い生徒」ということになる
三原監督や権藤監督みたいな学校の先生は、「放任主義」の典型だから、生徒にノートを取らせない(黒板に書かない)と思う。
故・藤田元司監督は、
「このごろの小学校は、従業中の態度というのが評価のひとつに数えられているらしい。そうなると、どうしても活発に発言する子どものほうが評価されがちである。
だから、大人しい子どもの親は、歯がゆい思いを抑えることができず、わが子を叱咤激励してしまう。
そうなると、子どもは自分の子どもは自分のおとなしさという長所を短所にしか考えられなくなってしまうのではないだろうか」
と述べ、
「野球の選手にもいろいろな性格の選手がいる」
とした上で、藤田が監督に出戻りした平成元年、当時は気が弱くて使い物にならないと言われていたピッチャー斎藤雅樹に対し、
「“お前は気が弱いのではない。慎重なだけなのだ。ピッチャーはみんなそんなものだと”と言ってやったのである。つまり、短所を長所として言い換えたのである」
と施し、2年連続20勝の平成の大投手に育てた旨を本で書いている。
※藤田元司「情のリーダー論」01年5月、ネコ・パブリッシング
『弱き選手を強き選手に変える法』より
藤田監督は、2年前に74歳で亡くなったが、昭和1桁生まれ(藤田は昭和6年生)とか昭和10年代生の学校教師(とくに中学・高校)は、いわゆる「管理教育」世代。
だから、
「授業で活発に発言する生徒は(陰でファミコンや現金をカツアゲしても)、“良い生徒”」→カツアゲは法律上、脅迫罪
「授業で発言できない大人しい(陰で掃除当番など雑用を押し付けられ真面目にやっても)生徒は、“悪い生徒”」
というレッテルを貼ったりする。
だから、授業で活発に発言しないと、他の生徒たちのいる前で「あれは教育だ」「しつけ」だと称して、教師に叩かれる(体罰教師である)のである。
これでは、授業中おとなしい生徒は、前任の王監督時代の斎藤雅樹のように萎縮してしまい、いい成績も挙げられないのではないだろうか?
当時は、脅迫罪的生徒を「良い生徒」と人前で称するような教師だらけ(見る目がない)で、管理教育世代の教師らも定年退職して隠居生活をしてしまっているが、
逆に言えば、授業では一体何人の大人しい生徒を一体何人潰したと思っているのだ?
藤田監督のような人物が学校の先生になったら、斎藤雅樹みたいな授業や学級で目立たない生徒を育て、成績を上げるんじゃないかな?
潰された生徒らの怨念も相当なものだろう… 原監督みたいな学校の先生
「二岡? そんなのいたっけ?」
と、休みがちな生徒に対し、「そんな生徒いたっけ?」と言う(生徒への奮起を促す)。 梨田先生 国語
古田先生 数学
岡田先生 英語
校長 渡辺久信 高校野球監督は、社会科教師が多い。
その社会科教師は、本来は野村監督のような野球でいうチームバッティングといった社会性を教える立場なのだろうが、
実際には体育教師顔負けの「気合いだ、根性だ」系の野球部監督が多い。
これは、プロ野球なら、野村監督いわく「走れ走れ」「陸上部野球」の金田正一や「肩は消耗品」権藤博(権藤も若い頃オリンピックの陸上に誘われている〜Wikipedia参照)などを始めとする「気合いだ、根性だ」系の投手型監督の特徴だ。
他に、鈴木啓示、土橋正幸、東尾修、故・村山実、故・別所毅彦、堀内恒夫…
すなわち、プロ野球投手型監督=社会科教師(高校監督)といえる。
しかし、なんで理科系教師はあまり高校野球部監督をしないんだろう?
野村をはじめ、森、上田、伊東、古田など捕手出身監督は、野球の方程式や科学的野球、統計や情報駆使の野球だから、理数系監督(あるいは、情報科や工業科教師)に当たる。
まあ、科学的野球や情報駆使野球は「気合いだ、根性だ」系が多い社会科教師の監督にはできないだろうし、金田や土橋、鈴木啓ら「気合いだ、根性だ」の投手出身監督に理科や情報科の教師は務めらないだろう(社会科教師や体育教師ならできると思うが)。
しかし、人間教育から思想・哲学、東洋史などを選手に口説く野村監督は社会科教師はおろか、理科や情報科教師もできそうだ。
ちなみに、プロ野球名監督の野村は峰山高校化学科で、広岡は早稲田大学教育学部出身(教員免許はなさそうだが)
来た球を「ダーっ」「ガーっ」と打った長嶋は投手出身監督ではないが、カンピュータ野球なだけに、長嶋に数学や情報科教師はとても無理。
「ダーっ」「ガッ」「メークミラクル」で、数学の方程式や物理の法則は解けません。 ジャーナリストの小関順二が『別冊宝島 プロ野球 ベンチはアホじゃない』宝島社(00年4月)の123ページに、
「三原、野村を“劇薬型”の監督とすれば西本は“栄養剤”である。
瀕死の重病患者を劇的に回復させることはできないかもしれないが、一定の期間で回復に向かわせ、長く健康体で生活できるように仕向ける。」
と書いており、また、小関氏は『プロ野球問題だらけの12球団』(00年3月)でも、
「三原は前年最下位の大洋の監督を引き受け、昭和35年に大洋を短期で日本一に導くが、翌年また最下位に沈み、三原は(大洋以外でも)優勝することなく監督生活を終えた」とか、
「西本野球は後続監督にもつなげる(いわゆる遺産を残す)が、野村野球は、三原野球同様に自分一代限りの野球で、後釜に残らない。南海がその例で、ヤクルトも似た状況。」という内容を、小関氏は00年春に指摘していた。
たしかに、三原は「劇薬型」かも知れない。
広岡達朗も『勝者の方程式』の中で小関氏同様に魔術采配の愚について、「チームと選手の力を大きく向上させるものではない」何度か指摘している。
しかし、野村野球を「劇薬型」と決めつけるのは難しい。
工藤健策『名将たちはなぜ失敗したか』草思社(03年5月)の14ページに
「ヤクルトでの野村の成功が、たぶんにIDの心理効果だとすると、それに気づいたチームには効果がなくなってしまう。
偽薬効果はいつかは薄れる。」
と、工藤氏は小関氏の「劇薬」とは反対に、野村野球を「偽薬(プラセボ)」と指摘している。
しかし、野村が阪神を去った後の星野が『野村の考え』を読んだ上で、「野村さんのいい部分をつなげていく」として、03年に優勝しているし、阪神で優勝した星野自身も「野村さんのおかげ」とコメントしている。
また、若松ヤクルトは01年に日本一になっているが、岩村や藤井、外国人などを除き、古田を始め当時の主力は野村時代の選手である。
楽天での教育からみても、野村監督こそが「栄養剤」ではなかろうか。
むしろ、星野や権藤、バレンタインなどの監督のほうが性格的に「劇薬型」な気がする。
プロ野球だけでなく、高校野球など部活監督や教師(生徒指導なども)としても、「劇薬型」や「偽薬」でなく「栄養剤」型の先生が望ましいが…
多くの学校教師は「栄養剤型」の先生だが、塾や予備校の講師は「劇薬型」の先生が多い。 >>33
俺の学校時代、「シーズンMVP(ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞も受賞)選手も経験し、選手として日本一も経験して、監督になってからも日本一監督になった」という、某選手の学級担任&野球部監督をしてたという人が居たな。
こういう話を聞くと、一見美談な気がするが、
俺個人の印象だが、こういう先生の特徴として、部活をやる生徒、成績がいい生徒は(陰でカツアゲやイジメ、万引きなど悪さをしてても)皆“いい生徒”で、
逆に授業中、覇気がない生徒、勉強ができない子(部活をしない運動音痴系で陰でイジメられたりカツアゲされるようなおとなしいタイプ)は、皆“悪い子”と感じるのか、嫌ったり授業中に怒鳴りつけたりする。
まるで、福岡県の公立中学国語教師の田村伸一みたいな教師によるイジメ扇動だ(広岡達朗『野球再生』参照)。
もし、生徒が遺書書いて自殺とかしたらどうするんだろう…
むしろ、こういう先生こそ教育学・心理学的見地から、「鑑定眼」「育てる力」がなく、秋葉原の無差別殺人事件の加藤智大のような社会的に迷惑を及ぼす狂った生徒をつくる土台になっている気がするんだが…
たしかに「名選手・名監督」はつくったかも知れないが、こういう先生を「名教師」と評価するのは矛盾してると思うのだが、
もしこれが「いい先生」だという人がいるのであれば、一体、どこが「いい先生」なのか教えてください。 中日の落合監督は、01年春に横浜臨時打撃コーチに就いた。
その後、落合は『コーチング』ダイヤモンド社(01年8月)を出したが、この本を参考にしていくと、当時の横浜キャンプでは主に、多村仁(現・ソフトバンク)、石井義人(現・西武)、田中一徳(引退)の3人の打撃指導をした。
多村は04年に40ホーマーを放ち、石井義も05年に西武へ移籍してから芽が出た選手だが、当時の落合はまだ彼らのことを簡単にしか知らなかった。
当時の横浜は、前任監督の権藤博の「マシンガン打線」と称されたアベレージヒッターが多く、石井琢朗や鈴木尚典(首位打者経験有)などが主力であり、落合は彼らには打撃指導をしていない(彼らが質問に来た際のみ簡単にアドバイスをした程度)。
なぜか。
石井琢や鈴木尚のような3割打者に細かく(弱点や欠点を)・打撃指導をした場合、打率が3割5分までアップする可能性もあるが、2割5分(あるいはそれ以下)まで落ちる可能性もある。
だから、チームの主力であり、数字を残している選手や実績のある(億単位の年俸を貰うような)選手は手がつけられず、指導者としての冒険はできないのである。
しかし、打率1割台から2割程度の1軍半バッターを2割8分〜3割くらい打てるように取り組むことは楽だ(当時の多村や石井義はまだそのレベルだった)。
なぜなら、現状でダメなのだから、何かに取り組んでダメでも諦めがつき、指導者も選手本人も納得するからだ。
さて、この落合臨時打撃コーチの話を学校教育や授業に置き換えて考えよう。
例えば、数学で通知表の学年末評価を4(以上)を取っている生徒やまた中学・高校を通して学年末評価で4以上を(1年間でも)取ったことがあるような生徒。
落合の話からすれば、数学の先生がこうした生徒を細かく(弱点や欠点を矯正)指導すれば、5にアップ可能性もあるが、一方で3(あるいは2以下)に落とす可能性もある。
だから、細かく指導するなら、通知箋の評定が1や2の生徒を捕まえて3(あるいは3以上)を目指す教育をしたほうが得策だと言えるのではないか。
落合は、よく「見ているだけのコーチ」などと言うが、口を酸っぱくして指導したため、かえって主力選手を潰してしまったという話もあるが、学校の授業でも口を酸っぱくして指導したために、かえって生徒(主力)を潰した教師も少なくないはずだ。 駒田徳広『プロ野球 場外乱闘!』角川書店(01年7月)で、60頁に「こんな監督、コーチが選手をダメにする」という見出しで、
バカなことを言うコーチだったら、いない方がいいくらいだ。
水泳にたとえて言えば、選手には二通りあると思う。
何も言わないで「好きなように泳いでなさい」とだけ言っておけばいいレベルの選手と、いろいろと技術的なことを教えてあげなければいけない選手。
いいコーチというのは、それを見極めていて、選手みんなの力を高めていくことができる。ダメなコーチというのは、それが分かっていない。
自由にさせておけばいい選手にまで、ここをこうしろ、そこはこうしなきゃダメだ、といちいち指導しなければ気が済まなくて、いいものまで悪くしてしまう。
それでいて、指導しなければいけないレベルの選手の方はとっくに見放していて、結局ダメにしてしまう。
しかし、そういう素質のある選手は、放っておいても活躍するし、下手な指導をしない方がいい場合が多い。
選手が悩んでいるんじゃないかな、と思ったら、「どうした。何か悩みでもあるんじゃないか。相談にのるぞ」
と言ってあげるのも、コーチの大事な仕事だろう。そういうことを言ってもらえると、選手はすごくうれしいものだ。こういう気配りが大事なのは、プロスポーツのコーチに限らず、普通の仕事の上司でも、学校の先生でも何でも同じだと思う。
などと書かれている(一部略有)。
たしかに、学校教育についても駒田氏の指摘するとおりである。
バカなことを言う教師だったら、いない方がいいくらいだ。
「自由にしていいよ」というレベルの生徒と、いろいろと技術的なことを教えてあげなければいけない生徒の二通りあると思う。
ダメな教師というのは、自由にさせておけばいい生徒にまで、ここをこうしろ、そこはこうしなきゃダメだなどと、指導しなければ気が済まなくて、あれが悪いと他の生徒のいる前で平気で欠点や弱点ばかり指摘して、いいものまで悪くしてしまう。
それでいて、指導しなければいけない生徒(不良)の方は見放していて、結局どちらもダメにしてしまう。
しかし、素質のある生徒とは、放っておいても勉強するし、下手な指導をしない方がいい場合が多い。
また、悩んでいる生徒に「どうした。何か悩みでもあるんじゃないか。相談にのるぞ」
と言ってあげると、生徒はすごくうれしいものである。 名監督の野村監督と広岡監督を比較する
野村は、入試問題の特徴を分析して解き方や解法を教える塾や予備校講師タイプ
例えば、野村が予備校講師だったら
「○○大学の英語の問題の特徴はこうで、過去かなりの頻度でこの問題が出題されている。こういう主旨の問題が出されたら答案用紙にはこう書け。そうすれば採点者は高い得点を与える。一方の××大学の英語の問題の特徴は…」これが野村型
広岡は、入試問題の特徴を分析するより学校の教科書的教育にウエートを置いて、多くの問題を解かせて、いろいろな出題パターンにも対応できるように教え込む学校教師的タイプ
広岡が学校教師だったら、
「日本での英語の学習とは、定期試験とか受験入試問題で高得点を取ることばかり意識されているが、これだと本来の目的である外国人とのコミュニケーション能力が育たない。
だいたい、外国人と英語で意思疎通できない者が、なぜ通知箋の評価で5がついたり、難関大学と言われる外国語学部の入試問題に合格できるのか、ここに日本の英語教育に矛盾を感じる。
だから、英語教育とは入試英語に比重を置くのではく、外国人とコミュニケーションを取れるための訓練が優先されるべきであって、そうした能力を磨いてから定期試験とか入試対策に移るのが望ましいのである」
的な発言をしそうだ。
(広岡型ならALTなど外国人の英語の先生から積極的に英語訓練をさせて「生の英語」「使える英語」を身に付けさせたがるタイプ)
野球でも、野村はカウントがどうこう意識してるが、広岡はそこまで意識してない。
もし昭和55年に西武で現役を終えた野村が、もし当時監督だった根本の後釜として西武の監督に就いていたら、広岡とは反対に田淵を腐らせ、江夏を重宝したと思う
伊東の師匠になっていたかも知れないし、秋山など豪快さがない打者になっていたかも知れないが、石毛はもう少しいいバッターになっていた気もする
工藤や渡辺久信、郭泰源、森繁和も違ったタイプの投手になっていたかも知れないが、東尾は野村でもダメだっただろう
片平はあまり使われず、大田を好んで使っていたと思う
星野みたいな先生
五輪のように野村みたいな先生に批判される 野村克也『プロ野球 野村克也の目』朝日新聞社(83年4月)で、
当時評論家だった野村は昭和57年の広岡西武のことを「銀行野球」、大沢日本ハムのことを「富くじ(宝くじ)野球」と言っていた。
また、同年の西武と中日の日本シリーズについて(ちなみに当時の野村は中日有利を挙げていた)、この本(265ページ〜)の中で、小学校の教師にたとえて、
(昭和56年の西武について)監督はいてもなにもいわないので、選手がてんでに勝手なことをしていた。ちょうど、担任の先生が休んだ小学校の教室のようなもの。無政府状態といってよいだろう。
(昭和56年秋)そこへ広岡さんがきた。小学校低学年の担任としてこれ以上の適任者はいまい、という人だ。
前の担任(根本陸夫監督のこと、野村の現役晩年の昭和54年・55年は根本西武でプレーしている)が、「野球なんて、投げて打って守って、ほかになにがある」といっていたのに対して、
この人は、「究極はそうなるとしても、そこまでになるには君たち、勉強することがいっぱいあるんだよ」と、それこそイロハや足し算からやり直させた。
生徒のほうは、それまでほとんどなにも教えられていないといっていい状態だった。先生としては、なまじおかしな教育を受けた生徒より、相手がいわば白紙状態なので、教えやすかった。
こうして西武は初のリーグ優勝を成し遂げた。広岡さんの手腕には、脱帽のほかない。
日本ハムとのプレーオフでも、生徒たちは「江夏攻略にはバントがいちばんですよ」と、先生に教えられた通り、一生懸命バントをしていた。
どんなプレーをすべきか判断するのはあくまで先生で、生徒はその教えを忠実に守る。従ってミスは犯さなくてすんだ。
など、当時の野村は本の中で述べていた。
根本西武時代の選手が勝手なことばかりしていたって、当時の西武の選手って、田淵や東尾などである。
たしかに西武学級の田淵クンや東尾クンみたいな生徒は、教室の中でてんでに勝手なことをしていただろうし、根本監督みたいな先生ならこういう生徒らを放任するから、近年でいう学力低下を招いてしまう。
広岡監督みたいな先生が、西武学級の担任(ヘッドコーチの森祇晶は副担任といったところか)に就いて、低迷していた西武組の学力をアップさせ秀才軍団に仕上げたというわけだ。 今日の学校教育は、悪いことや間違ったことをしても叱ったり注意しない、いわゆる「放任」により、教師が生徒にご機嫌を取りながら授業や学級経営をしている始末である。
「学校の先生」とは教育者であり、保育士や介護士のような福祉従事者と混同していないだろうか。これでは、“魔術(マジック)”と同じである。
広岡達朗『勝者の方程式』講談社(88年4月)の中で、
「“魔術”と呼ばれた監督采配もあったが、それは、所詮、一時的な催眠術かマジックのようなものであり、選手のあり合わせの力の組み合わせの妙に過ぎず、チームと選手の力を向上させるものだはなかった」
とか
「また、かつて“魔術”といわれ、頻繁に奇襲や奇策を行った監督がいたが、こうした戦法も、そればかりにとらわれすぎると、選手が大きく育たないのは自明である」
と述べている
※広岡監督が批判する魔術采配とは、三原脩監督のことである
これを学校教育に置き換えると、
「“魔術”と呼ばれた学級経営や授業もあったが、それは、所詮、一時的な催眠術かマジックのようなものであり、生徒のあり合わせの力の組み合わせの妙に過ぎず、学級と生徒の力を向上させるものだはなかった」
「また、かつて“魔術”といわれ、頻繁に奇襲や奇策を行った教師がいたが、こうした授業も、そればかりにとらわれすぎると、生徒が大きく育たないのは自明である」
と言える。
また、本の中で、
「意識革命は監督と選手の嘘隠しのない戦争からはじまるのだといえる」
と述べているが、学校教育でも、
「意識革命は教師と生徒の嘘隠しのない戦争からはじまるのだといえる」
と思う。
意識革命とは、「これが正しい」と信じ込んでいる者に、「それは間違いだ。正しいのはこうだ」と、頭を切り換えさせる作業なのであり、人間の心の持ち方にかかわる抜本的な改革のことである。
今の女子中学生が、高校生かそれ以上の年齢の男子と恋愛をした挙げ句、彼氏に殺害されてしまうような事件にまで進展してしまうというような話はワイドショーや女性週刊誌でよく目にする。
女性高校生ならいざ知らず、一昔前なら女性中学生が彼氏をつくるなどということはほとんどあり得なかった。
しかし、三原監督のように「年上の男性と恋愛OK」と放任する中学教師が少なくないのは、教育者として「問題あり」ではないだろうか? 今の時代、親も生徒も世の中も「いい先生」「いい指導者」の定義を履き違えてる人が多くないか?
多くの学校教師(とくにプライドが高く私利私欲や売名意識で管理職に上がりたいような中年オヤジ)は、金満家・有力者・PTA・教師・公務員・医者・議会議員・ヤ●ザやモンスターペアレント等ら保護者の自分の評判や噂をやたらと気にしたり、
学級にいる学級組織の権力を握った悪いボス的生徒(女子生徒に多い)などに嫌われると終りだからと、
これら保護者や生徒らに正しい教育、辛口指導ができず腫れ物扱いや特別扱い(成績改ざんなど公文書偽造)をしている先生が多い(とくに中学)。
※例えば、同じ名字の生徒がいるわけでもないのに、常に下の名前で呼んでいる(他の生徒は名字で呼ぶ)などしてボス的・権力的生徒の機嫌を取る
それだけでなく、生徒や保護者からの印象や好感度を気にする余り、逆に学級で立場が弱い(イジメられっ子・貧乏人・生活保護・片親・体が弱い・手足に軽い障害があるなど)生徒らに侮辱や暴言を吐いたり、イジメたりしてカッコつけたがる始末。
たとえ、授業が上手く、生徒から人気があるとしても、立場が強い保護者やボス的生徒(とくに女子)から嫌われたくないからと、評判や噂ばかり気にしたり大分県教員採用試験汚職事件のように陰で賄賂を貰ってるような悪い先生を「いい先生」とは呼べない。
むしろ、生徒から嫌われ(衝突し)たり、授業が下手クソでも、賄賂などを受け取らずに、そうした間違った保護者やボス的生徒らの噂や評判を気にせず、
「悪いものは悪い」という具合に悪い生徒に対し堂々と正しい教育や辛口指導ができる先生のほうが、よっぽど人間的魅力があって「いい先生」だと思う。
また、こういう考え(バカな親や悪い生徒らから嫌われても構わないからと正しい教育の信念を貫ける)を実践する先生こそが、
意外と生徒を改心させたり、生徒を育て(学力を上げたり才能を開花させ)ている。
「あの生徒はワシが育てた」の話ではないが、第三者が「あの生徒はあの先生が育てた」と言ったり、あるいは生徒のほうから「あの先生が俺の才能(学力や人生の目標など)を見い出した」とか「今の私があるのはあの先生のおかげ」と言われたりしている。
野球部で例えたらこういう考えを実践できる監督が、強い選手や強いチームをつくると思う。 名監督だった広岡達朗は、今年度の4月から愛知新城大谷大学の社会福祉学部の特任教授(担当科目はスポーツ科学)に就いただそうで、
広岡さんが大学教授になれば「教室内の監督」になり、学生に対しても容赦ない辛口指導をしそうである。
実際に広岡さんの講義を目にしたことはないので、どんな感じで講義をするのかシミュレーションしてみよう。
講義中、雑談・携帯メール・代返をする学生に近づいて
「お前、やる気がないなら帰れ! 出ていけ!!」と一喝したり、「一体、今の学生は何を考えているのでしょうか」と毒舌。
黒板に書いた板書事項をノートに写そうとしない、あるいはノートを取るのが遅い学生に
「ノートの書き方がなっちゃいません。一体、(高校までの)学校の先生は一体何を教えていたのですかね。今の学生は、漢字も使わずに、あー情けない」
打って走って守れる選手を重宝したように
「社会福祉はわかるが英語はわからないとか、記述は上手いが数学ができないという学生は要らない」「これからは、論述や記述が出来て、英語も堪能で、(社会福祉学部=文系だからといって)数学もわかる学生を育てなくてはいけません」
茶(金)髪、ロン毛、ヒゲ、ピアス姿の学生を見て
「まったく、これで社会福祉だ介護だ就職活動だ、などと言うのがおかしいですよ」
担当するスポーツ科学の講義でのテキストは、『野球再生』『監督論』『意識革命のすすめ』『勝者の方程式』などを使う。野球再生を買わない学生は期末試験の受験を認めない。
西武時代の石毛宏典(新人王・遊撃手ゴールデングラブ賞)に「なっちゃいません」と石毛の守備にダメ出ししたように、
成績がいい(記述が上手い)とされている学生の答案を見て「全然書けていません」などとダメ出し、ほどよいものでは妥協しない。
江夏や伊良部などのように、反発してくるような学生を「そんな学生要りません」と言って除籍にする。
バレンタイン監督のような、単位認定が甘い、宿題を出さない、私語を放置しそうな他の教員のことを「あの先生からは、育てる気概を感じられません」などと批判する。
講義中、教室に清涼飲料水(スポーツドリンク)を持ち込む学生に
「水こそ勝者の飲み物である」「豆乳を飲みなさい」と口説く。自然医食(玄米・菜食)を奨励する。 >>30
故障した二岡に憤慨した原監督の「そんなのいたっけ」事件は2007年3月。
「足が痛い×2」と言いながら、翌年には山本モナとラブホテルに行くことで、広岡さんも毒舌。 故・藤田監督(巨人)の『「情」のリーダー論』(ネコ・パブリッシング、01年5月)の165頁にて、
藤田さん自身が「小学校時代に教師に歌が下手だからという理由を指摘されたことで、65歳になってもカラオケなど人前で歌うことに拒否反応を起こしてしまう」と書かれており、
そこから巨人へトレードで入団したデーブ大久保(現・西武打撃コーチ)の才能を開花させた経緯が説明されている。
その藤田監督と森監督(西武)の『監督』(光文社、97年4月)という本にて、
“馬車を引いている馬は、どう頑張っても競争馬になれない”という項で、人材育成論が書かれている。プロ野球選手について、
「資質、能力の違いがあったり、育成に時間のかかる選手、短期間で頭角を表す選手、さらに、精神的、性格的に強い選手、弱い選手等々あって、育成法というのは人さまざま、多岐にわたる。
また、それゆえ指導する側の手腕が問われるところだ」
とある。
なるほど、これは学校教育でも
「資質、能力の違いがあったり、育成に時間のかかる生徒、短期間で頭角を表す生徒、さらに、精神的、性格的に強い生徒、弱い生徒等々あって、育成法というのは人さまざま、多岐にわたる。
また、それゆえ指導する側(教師)の手腕が問われるところだ」
と置き換えることかできると思う。
続いて、藤田監督がこう語る。
「精神的にも、肉体的にも、技術的にもスパルタ式に鍛えればいいというものでもないし、やり方はいろいろあると思うけど、いちばん大事なのは、まず、その選手の特徴を早くつかんでやること」
「どの選手にも、いい面と悪い面が必ずあるから。そのへんの特徴を早く把握して、いい面を伸ばしてやるようにする」
「なぜいい面を伸ばすかというと、人間には不思議なもので、いい面が伸びれば、いっしょに悪い面も伸びていくことはない。
いい面が伸びれば、悪い面は自然に消えていくものだ」
と語っているが、
やはり、これは学校教育でも同じで、
「どの生徒にも、いい面と悪い面が必ずあるから。生徒の特徴を早く把握して、いい面を伸ばしてやると、同時に悪い面は自然に消えていくものだ」
とも言えるはずだ。
ちなみに、イチローや野茂を育てた故・仰木監督も、『勝てるには理由(わけ)がある』(集英社、97年1月)の中でも、「長所を伸ばして短所を隠す」という話をしている。 近藤唯之『プロ野球 新・監督列伝』(PHP文庫、99年8月)の中に、根本陸夫監督のことが書かれている。
例えば、昭和55年のロッテ対西武のある試合で、西武の先発投手の東尾が初回からロッテ打線に捕まり、3点を失った。
この本には、
しかし、根本(当時の西武監督)は動かない。根本の選手起用はこうだ。
「いいところを伸ばしてやろう。悪い部分はよっぽど眼にあまるところ以外は、あまりいじらない」
簡単にいえば、いいところだけ見てやろう。その逆でわるい部分はできる限り眼をつぶろう。プロ野球だけではないのだが、日本人はわるい部分を一番さきに直そうとする。そのためにかえって、いいところも潰してしまう。
と書かれている。また、
「プロ野球に入ってくる男は、こと野球にかけてはみんな天才なんだよ。指揮官はそこのところを、きちんとわかってくれないと困るんだ」(根本陸夫)
とあるが、プロ選手ではないが、やはり、学校教育でも、生徒一人ひとりのいいところをきちんとわかっていないと困るということが言えるだろう(生徒のいいところより悪いところを意識している担任教師が一体学校に何人いるのか)。
さらに、本の中で、
この試合は最終的に5対3でロッテが勝った。もし東尾をもっと早く交替させていたら、西武は勝っていたかもしれない。
「その日の試合では負けても、5年さきを見て育てる」
という根本の思想が東尾にとっても、西武にとっても、大輪の花を咲かせた。
とある。根本監督は昭和56年で監督を辞めてフロント入りしたが、翌昭和57年には東尾を擁する広岡監督の西武が日本一になり、次の森監督の時代まで常勝・西武王国になるが、その基礎をつくりあげたのは根本監督である。
広島は、古葉監督の昭和50年に球団創設以来の初優勝を飾り、昭和50年代の赤ヘル黄金期を築くが、そのときの主力選手である山本浩二や衣笠など、その土台は根本監督が築いている。
王監督のダイエーも、前任だった根本監督が築いている。
監督としての戦績はよくなかったが、前述の(根本監督の)5年ほど先は、監督に就いたいずれの球団で優勝、そして黄金期を迎えている。
学校教育でも、「今は偏差値が低くても、5年先には学力がアップしたり、大学受験、採用・難関資格試験に合格できるような生徒」をつくれる教師が“いい先生”なのだが… 「人は育つ」と苑田内野手の事例のように、広岡監督が学校教師とかだったら、学力的に低迷・伸び悩んでいるような素直な性格をした生徒を育てたのかな?
広岡監督のような昭和1桁生とか戦前生まれの学校教師(今では定年退職済)って、
金持ちとかPTA、有力者、公務員、学校教師・大学教員、(歯)医者、イジメっ子、モンペなどの子供(そういう奴らの子供は結構陰で悪さをしているのが意外に多く教員採用試験などで汚職も起きやすい)を腫れ物扱いして育てたり成績評価しようとする一方、
逆に貧乏人、片親や生活保護受給者、運動音痴、身体に軽い障害がある生徒やイジメられっ子など、人前で体罰を振るうなど権威をチラつかせたり…
また、管理職のゴマすりも少なくなかった(とくに中学)。
当時はこんな教師が多い時代、性格はいいが伸び悩んでいる生徒がこういうふざけた教師たちに育てられたら、伸びないか、たとえ伸びても、教えを受けたほうは教育に対してふざけた間違えた考えを持つ(将来いい先生にはなれない)。
だから、こんな指導者はいい先生とは呼べない。
プロ野球なら、例えば、V9巨人の監督だったドン川上に太鼓持ちをしていた某コーチ、今ならドラフト1位で逆指名してくるような選手を腫れ物扱い、逆に下位指名などの選手をロクに育てようとしない(学校で例えたら前述の教師の権威をチラつかせて…である)。
こんな指導者はいいコーチとは言えない。
しかし、広岡監督は指導者として、そういう怪しいエコヒイキみたいなことを一切しないし、前出の某コーチみたいに目上に媚を売るようなこともしないで選手を育てようとする(だから根本陸夫や弁護士でもあり当時の佐藤邦雄ヤクルト球団社長とも反発して退団している)。
巨人を出てから、広島で苑田の守備を育てた反面、西武ではドラフト1位入団かつ新人王・遊撃手ゴールデングラブ賞の石毛の守備をけなしている。
また、万年Bクラスのヤクルトを率いて巨人を倒して優勝・日本一、黒い霧事件以降低迷していたライオンズを率いて日本シリーズで巨人を倒して日本一になっている。
苑田のように真面目で優しい性格の生徒は、バカな先生が素質を潰し、広岡型指導で開花している。
広岡監督は早稲田大学教育学部卒業と、学校教育に無縁とは言えない存在。
そんな広岡監督に、一度学校教師にやってほしかった(とくに中学) 野村克也『ノムダス2 弱者が勝者になるために』扶桑社(98年1月)に、
「野村再生工場」のバックボーンとも言える言葉に、中国の兵法家・呉子の「功ある者を集めるより功なき者を集めろ」あると書いてある。
学校で例えるなら、勉強もスポーツ(部活)もルックスも他の平均的生徒より劣ったりイジメを受けているような弱者的生徒などは、「功なき者」に当たるだろう。
学校教師は、大学や現場研修で教育心理学などを学んでいるはずなのに、学校にいる「功なき生徒」にそれら心理学を活かせていない。
最近では、功なき生徒たちのやる気や眠る素質を開花させようと知恵を出したり努力する“いい先生”も出てきたが、一方で、功なき生徒を授業でイジメている教師もいる(福岡の中学での男子生徒の自殺問題が例)。
また、教育目標によく「文武両道」などと掲げている学校は少なくないが、当時、野村監督は、「文」教育をやっているのはヤクルトだけと述べている。
さらに、野村監督は本の中で、(平成9年当時)の西武というチームが、茶髪、ピアスであり、日本シリーズでは絶対に負けてはならないと思い、
“なぜ茶パツはダメなのか”という項でも、西洋の日本より厳しい規則や禁止事項が存在などに触れ、
97年の日本シリーズでは西武の上層部は見てみないフリをしていた。現役最後にお世話になったとき(昭和54・55)の西武は礼儀やマナーに厳しいチームだったのに、今は茶パツあり、長髪あり。世の中に通用する秩序は失われてしまった、と書いている。
これとまったく同じ、『週刊ベースボール 創刊50周年 2008年12月8日号』の8ページにて、広岡達朗が、
岸や涌井などいいピッチャーが多いが、髪の毛が長過ぎて、ああいうところは堤義明元オーナーの意向が消えている。広岡が入る(昭和56年秋)ときは西武の伝統が残っていたが、今はない。
これは選手たちの責任ではない。球団の姿勢がなくなったということですよ。と指摘している。
なるほど、「文」教育をしない・学校の姿勢がないから、日本より厳しい規則や禁止事項が存在する西洋にて、今年、茨城県の高校野球監督(当時30歳)が新婚旅行で世界遺産であるイタリアの大聖堂に油性ペンでハートの落書きをするふざけた事件を起こしたり、
修学旅行での集団万引き事件でも、上層部が見てみないフリをするのだろう。 監督としてリーグ優勝1回の近藤貞雄(故人)だが、ユニークな采配が目立つせいか「名監督」の部類に入る近藤が、学校教師になったら奇抜な授業をする一方で、あまり生徒に勉強させないだろう。
近藤は、先発完投が当たり前だった中日コーチ時代、「投手分業制」を取り入れてリリーフ専門の板東英二(現タレント)を発掘した。
また、フジ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』を観ていたほど大正生まれにしては珍しいハイカラな人で、
投手分業制以外にも、中日監督時代に「アメフト型野球」、大洋監督時代に「内野陣総コンバート」「スーパーカートリオ」といった面白い(変わった)アイデアを実践をしていた。
3年間(平成元〜平成3)の日本ハム監督時代のキャンプでは、中日や大洋時代同様に、投手陣がブルペンで投げる量を減らした。
このやり方を歓迎したのは、当時エースの西崎や血行障害を抱えていた柴田といった投手たち。
一方で、このやり方が合わなかったのは前年の高田監督(現・ヤクルト監督)時代の昭和63年に最多勝(西崎や現・西武監督の渡辺久信と並んで)を取った「ゼロ戦のマツ」こと松浦ら若手投手陣。
松浦は「キャンプで投げ込まないなんて、とても勇気がいることなんです」と漏らしていた。
不安はてきめん、成績に反映し、松浦は前年15勝からわずか1勝に終わり、同じく前年最多勝の西崎も前年より1勝多い16勝したが、防御率を2.50から3.55に落としている。
チーム防御率も昭和63年の1位から、翌平成元年には3位に落とした。
しかし、この方式が体質に合った投手もいた。
血行障害もあり前2年で5勝だった柴田は、近藤の下で投げた3年間で30勝を挙げ、平成2年には東京ドーム初のノーヒットノーランも達成した。
また、武田も近藤のいた3年間で20勝31セーブで平成3年に最優秀救援のタイトルを獲得した(後の平成10年のダイエー時代に最多勝、平成14年の巨人時代に史上3人目の12全球団から勝ち星投手になる)。
学校の授業でも、見た目や年齢などと裏腹な近藤方式のように、「体調管理」を目的に定期試験や受験シーズンにあまり勉強しないやり方を唱えたり、
授業ではハイカラな感性の先生のやり方が合う生徒と、合わない生徒が出てくるだろう。
※参考
浜田昭八『監督たちの戦い 決定版 上』日本経済新聞社(01年4月) これまでの学校教育とプロ野球監督論との結び付きについて、重複指摘も含め、ご覧になられた多くの人達が「学校とプロ野球って、一体何の関係があるのか?」と疑問に思ったでしょう。
しかし、プロ野球の広岡達朗氏が書いた本の『野球再生』中でも、2年前の福岡の中学での元担任がイジメ自殺を扇動した事件に触れた上で、自身の野球指導歴から「野球も学校教育も、人を育て指導する」という共通項がある」と本の中で述べています。
今も男女関わらず、授業中に教室で、体育館で、移動教室で、トイレで、または休み時間や放課後など、どこかで仲間はずれや無視、暴力、嫌がらせ、カツアゲをされたりしている生徒、ケガや病気で満足に学校に通えない生徒はいると思います。
そうした問題が放置され、学力向上や人生の飛躍の妨げになったり、自殺や刑事事件という形にまで発展してしまうことは残念で仕方がありません。
ただ、こうした野球の本には、前述の広岡氏の本のように、イジメや採用試験や通知箋など評価への裏金問題、犯罪とか携帯などマナーやモラルの低下といった学校教育の諸問題への解決のヒントが隠されている場合が多いと思います。
もちろん、野球に限らず、サッカーでもバスケットでもスケート、音楽、歴史、経営哲学、偉人…など何でも良いのです。
学校の先生は勿論、それらの職を志す者、大学の心理学や教育学の学者たちが先入観や既成概念にとらわれず、こうした本を読むことで問題解決の研究の幅を広げてほしい。
それらすべてが立場の弱い生徒への解決策にならないと思います。しかし、たとえ一人でも、飛躍や解決への土台になる可能性があると思いますし、そうした可能性を生徒と模索することが教育者の役目かと思います。
とりわけ、コンピュータや情報環境の発達に対比するような昨今の経済や雇用環境事情の悪化も踏まえ、若者に限らず、多くの人達の生きるヒントを、幾多の危機を乗り越えてきた先人たちから学ぶ姿勢は不可欠とも思います。
これは、弱者に転じた今に生きるすべての人の共通事項ではないでしょうか。
以上に基づいて、ご理解願えれば幸いと思います。 NHKドラマ『フルスイング』が23日(火)から3日間連続で再放送されている。
ドラマの中で、頑固な現代社会の天童先生(里見浩太朗)が「教師も(野球もそうだが)人を育てる」という旨の話を主人公の高林にしている。
高林のモデルである高畠は、南海に入団するが脱臼で満足に活躍できずに現役を終えた。
そんな高畠の指導者としての素質を見い出したのは、南海時代の野村監督である(二人は後に同時にロッテに移る)。
野村監督はヤクルト時代の前評判が芳しくなかった97年に「野球は強い方が勝つとは限らない」と言って、清原、石井浩郎、ヒルマンらを集めた前評判の高い巨人に圧勝した。
通算2勝と実績がなかった田畑は、96年12勝、97年15勝を挙げたが、田畑は当時、取材で野村監督への感謝の意を答えていたようだ。
また、前年に広島を自由契約になった小早川を開幕戦で斎藤雅樹(前年まで3年連続開幕完封勝)に3連発を浴びせたが、やはり小早川も当時、野村監督へ感謝の言葉と取れるコメントをマスコミにしていたようだ。
その他、この97年は中継ぎの広田や野中らを巧みに起用し「選手の力とはこうして引き出すのだ」と言わんばかりに、この年リリーフ陣が不安定だった巨人に見せ付けた。
かつて大洋に権藤正利という左腕投手がいた。
小児マヒや左指の負傷というハンデを抱え、「通算28連敗(昭和30〜32年)」という不名誉記録を抱えたほど勝てずに一時は引退も考えていたが、
三原脩が大洋監督に就くと、三原から「君の持っている力を、きっと引き出してみせる」と口説かれ、食生活改善を受けるなどして再生し、大洋日本一に貢献した。
権藤正利は阪神移籍後の昭和48年に、監督の金田正泰に「サルでもタバコを吸うんか」と言われた事で暴行事件を起こして選手生命が断たれた。
歴代投手のうち、権藤正利の防御率は24位で、23位が「平成の大投手」と評された前出の斎藤雅樹である。
三原監督の「超二流」という造語は、後に三原の弟子である仰木監督にも受け継がれた。
前述のドラマの現代社会の天童(里見浩太朗)先生の言葉を借りれば、学校でも「生徒の力とはこうして引き出すのだ」「君の持っている力を引き出してみせる」という“超二流”生徒を育てる先生が重要なのだ。
ただし、生徒の側も、田畑、小早川、権藤正利のような「素直な心」や「聞く耳」は必要である。 野村監督が言う「再生できる人間の条件」は、超ハングリーであることが求められる。ハングリーの言い方を変えると「ナニクソ」だ。
12月19日(金)にNHK総合の『スポーツ大陸』にて「弱小球団を変えた男・岩村明憲」が放送されたが、岩村と言えば「何苦楚(ナニクソ)魂」である。
その「何苦楚」のパイオニアは西鉄の三原脩監督(故人)であり、当時の西鉄の看板打者で三原監督の娘婿である中西太を経て、中西が岩村へ伝授した言葉である。
この岩村の何苦楚魂は、野村再生工場のタネと同じなのである。
ヤクルトを退団した直後、当時の阪神球団の久万オーナーに三顧の礼で監督として迎えられたが、
久万オーナーは「野村君なら、簡単にチームを再生できるでしょ?」と言ったらしい。
しかし、監督にいくらハングリー精神、つまり何苦楚魂があっても、監督が野球をするわけでないのだから、選手たちに何苦楚魂がなければ沈みきったチームは浮上・再生しないのは当たり前である。
野村監督が阪神を退団してから書いたいくつかの本の中で、「とにかく、今岡など阪神の生え抜き選手の多くがハングリー精神に欠けていた」と証言している。
やはり、高校野球は勿論、学校の他のスポーツ活動も勉強も一緒だ。
まあ授業中に携帯電話でメールをしたり化粧したり居眠りしたりと、いかにも何苦楚魂のカケラも無さそうな生徒ほど、よく
「先生の授業のやり方が悪い」とか「教科書が悪い」「調子が悪い」などまるで昔の阪神の選手ばりな屁理屈を言ったり反抗心を露にする。
そこで、阪神の久万オーナーのような「わかりやすい授業をする先生なら…」と言わんばかりの発想に辿りつくわけだ。
しかし、仮にどれだけ授業がわかりやすいと評判の先生が授業をしたところで、生徒に聞く耳、つまりハングリー精神 = 何苦楚魂がなければ、わかりやすい授業をしたところで、野村阪神と同じで絶対に再生したり浮上することはできないのだ。
なぜなら、やるのは先生でないからだ。
そもそも「調子が悪い」のは野球でも勉強でも、全部自分のせいである。
つまり、イチバン悪いのは自分のオツム(自分が気がつかない)なのだ。
どの世界にも言えることだが、何苦楚魂を持たずに反抗ばかりで人のせいにしたり屁理屈を言ってる連中で、学力や人生を再生・浮上させた奴を見たことがあるか? 野村監督は、
「野球は意外性のスポーツ」
「野球は強いほうが勝つとは限らない」
と言う。
高校野球のような負けが一切許されないトーナメント方式と違って、プロ野球は勝率とか日本シリーズなどのように先に●勝したものが優勝といった方式で、長い目で見ると1敗が許される。
勉強や仕事など人生も、高校野球のトーナメント方式でなく、敗者復活戦があるプロ野球の勝率主義に似たところがある。
だから、野村監督は二流が一流に勝つためには「アタマを使え」という。
また「超二流」の三原監督の弟子の仰木監督も、「超二流は一流よりも強い」と言っていた。
三原や仰木の魔術采配(マジック)は有名だ。
ルール違反となるサイン盗みやスパイのようなカンニング、または裏金やつけ届けといった八百長・成績改ざんなどの不正は、野球でも勉強でも許されない。
勉強において敗北を経験してきた超二流的生徒が、定期試験の成績を突然アップさせたり、難関校の入試、難関資格試験などに合格するなど「なんでアイツが」と言われるほど勝利したりする。
たしかに、超二流生徒が不正をせずに定期テストや受験に勝ったりするのは、野村監督や三原・仰木監督のような指導者・先生と出逢ったりして超二流的生徒がIDを身に付けたりや魔術を駆使したという見方もできる。
もしくは、「人は育つ」の信念を持った広岡さんのような指導者・先生に手ほどきを受けたかも知れない。
しかし、角三男が『野村ノートの読み方』で述べたように「何がなんでも成功するんだ」という本人のひたむきさや努力がなければ、IDとか魔術を施しても超二流生徒は飛躍しない。
落合が『コーチング』という本で、新人の頃“三振”という負けを繰り返していた王に一本足打法を授けて王の打撃を開花させたた荒川コーチについて
「荒川さんに高い指導能力があったことは確かだが、荒川さんが打撃を教えても王さん自身に努力ややる気がなければ打撃を開花させることはできない」
という旨を述べている。
広島コーチ時代に超二流選手だった苑田の内野守備を鍛えた広岡さんも同様に、苑田自身が「成長したい」という意識があってこそ、広岡さんの指導が活きてくるのだ。
プロ野球や勉強・人生において「意外性」とか「強いものが勝つとは限らない」という勝率志向とは、結局はそうしたものの裏返しなのだ。 野村監督自身の本だけでなく、西武監督の渡辺久信の『寛容力』(08年11月、講談社)をはじめ、楽天の山崎武司や解説者・評論家の角三男などの本を読んでもわかるが、
野村監督は講義(ミーティング)で積極的に選手にノートを取らせるという。
ID野球の神髄である。
阪神から今年横浜へ移籍したベテランキャッチャーの野口寿浩
『Wikipedia 野口寿浩』 参照
ヤクルト時代は古田の控え捕手に甘んじながら、野村監督のID野球を仕込まれ、98年に日本ハムへ移籍し、さらに03年の星野監督時代に阪神へ移籍し活躍した。
Wikipediaによると、野口は腕が痛くなるほど野村監督の講義内容をノートに写したという。
その甲斐があって解説者たちから「リードは古田以上」とまで評価され、日本ハムに移籍すると同時に正捕手に着いた。
理論派で現・巨人投手コーチの尾花(巨人投手陣に『野村ノート』を読ませている)も投手陣にたくさんノートを取らせており、ロッテコーチ時代(95〜96年)でも、阪神からFA移籍してきた投手のマイクこと仲田幸司がアタマを使う野球に触れて驚いている。
『Wikipedia 仲田幸司』
『あぁ、阪神タイガース』参
尾花はダイエーコーチ時代も投手陣を整備して優勝・日本一に導いた。
野村監督は1点差試合の勝率が高い。アタマを使っているからだろうが、これは選手に腕が痛くなるほどノートを取らせていることと無関係ではない気がする。
野村監督の『あぁ、阪神タイガース』の中で、ノートを取りたがらない当時の阪神の若い選手たちについて嘆いているが、
今の学校に通うゆとり教育世代であればなおのこと、野口のような腕が痛くなるほどノートを取ったことがないのではないだろうか?
これは、野球だけでなく勉強やテスト、入試などの場面でも接戦(1点差)に泣くことになりかねない。
そう考えると、渡辺久信や尾花のような積極的に“ノートを取る”ことは「1点差に強い生徒」「接戦に強い生徒」のつくることにもなり、
やはり、野球だけでなく学校でもその大事さを生徒に伝えることが不可欠な気がする。
ちなみに、NHKドラマ『フルスイング』や『甲子園への遺言』でお馴染みの社会科教師・高畠導宏(康真)は、南海時代の野村監督に指導者としての素質を見い出されている。
『Wikipedia 野口寿浩』 参照 生徒・城島君はいつも野村先生に反抗しています。
城島君
「野村先生は生徒だった頃はいつも100点取っていたんでしょ?」 大石監督みたいな学校の先生(英語)
英語の学力をアップさせたいためか、外国人の生徒を学級に入れたがる
→日本人が少ない学級 大矢監督みたいな学校の先生
学級の成績低迷により休養してしまう 野村監督が時折使う
「現在では、以前とは比べ物にならないほど野球が緻密になり、進化している」
ならぬ
現在では、以前とは比べ物にならないほど教育が緻密になり、進化している
野村先生は他のクラスと比べてもテストの成績が低い阪神学級では、学級の成績をアップさせたとは言い難いが、生徒赤星君、矢野君、藤本君らの素質を発掘した。
しかし、野村先生が生徒濱中おさむ君をえこひいきし過ぎたために、生徒関本君の生徒の一本立ちの時期を逃がしたと、後の阪神学級の担任となる岡田先生は指摘する。
当時の野村監督と久万オーナーとのやりとりにもあった
「監督が変わればチームも変わるんじゃないの?」「監督だけでチームを強くできたのは根性野球、精神野球の時代です」
とか
「野村監督ならエースや4番打者を育てられるんじゃいの?」「エースや4番は育てられないというのが私の持論です」「今の野球は、お金がかかるんです(いい選手を連れてくるのに)」
を学校教育に当てはめると
今の時代、教師だけ変われば(変えれば)学級づくり、学級内容チームも変わるのか?
学校の先生が、勉強でいう学級内のエースや4番打者みたいな生徒を簡単に育てられない。
今の教育とは、塾や予備校、家庭教師のようなところに通わないと受験校の入試問題の出題予想や答案の書き方テクニックは手に入らない
(これは司法試験や公認会計士など難関資格試験でも、資格試験予備校に通わないと独学では合格は無理という点で共通している)から、お金がかかる。
監督だけ変えても、チームは強くできない。
教師だけ変えても、学級づくりはできない。
野村監督は、「監督の賞味期限が短い」「監督学・帝王学を学ぶ機会がなく、身に付ける前にクビになるから若い監督は育たない(古田などいい例)」と言う。
教師も賞味期限が短く、本当の教師学・教育学を身に付ける前にクビになるから、教師が育たないのかも知れない。
「勝てないのは監督が悪い」監督批判をする心ない野球ファンなど、「成績が悪いのは先生の教え方が悪い」などと学校で教師批判をするモンスターペアレントや生徒と一緒。
結局は、野球ファンやフロントも、また生徒も親も、監督や教師を選ぶ際に「タレント性」「アイドル性」「スター性」だけで選んでいる。
間違った監督選び、教師選びだろう。 伊原ヘッドコーチ
ルンバ先生
野村監督「ばっかじゃなかろかルンバ♪」 山下監督みたいな学校の先生
ある打者1打席のときだけ、レフトの鈴木尚典とライトの多村仁のポジションを意味不明にチェンジした(終わるとまたポジションを元に戻した)ように
1時限のある特定教科のときだけ、左(廊下)側と右(窓)側の座席の生徒を無意味に入れ替えている。
バレンタイン監督みたいな先生
退職(クビ)のメッセージを保護者やPTAなどに配布する。 梨田監督みたいな学校の先生
選手らが新型インフルエンザに感染する 高田監督みたいな学校の先生
年度の最初の頃は学級が高成績をキープしていたのに、後半になると突然学級が原因不明の成績低迷に遭い、教室の端側に清めの盛塩をする 元ヤクルトの投手ディッキー・ゴンザレスは、巨人へ移籍後、周囲の予想を遥かに超えた活躍をし、今年の勝率のタイトル獲得がほぼ確実な上、最多勝や防御率でもタイトル争いをしている。
ゴンザレスの入団については、巨人首脳陣が「再生できる」と判断したためらしいが、
投手コーチの尾花や小谷(2軍)が、ゴンザレスをあそこまで再生させるとは誰も思わなかったはずだ。
その活躍について、ゴンザレスがヤクルトに在籍していた時の監督だった若松はスポーツ新聞のコラムで
「ヤクルト時代のゴンザレスは、ランナーを出したり打たれたりすると短気を起こしてよく自滅していたが、巨人に行ってからはそうした欠点が改善されているようだ」
などと評論していた。
そう考えると、元同僚のグライシンガーやラミレスが巨人に居ることも、環境的に大きいようだ。
また、かつて中日を戦力外になった現ソフトバンクの捕手・田上の今年の打撃成績も前年までと違った好内容である。
プロ野球のゴンザレスや田上の事例を参考に、学校教育でも教師は田上やゴンザレスのようなこれまで芽が出なかった生徒を飛躍させたいところだ。
前出の若松がヤクルトへ入団した当時の打撃コーチの中西太も、中日時代に2軍でくすぶっていたブライアントを近鉄に移籍させて活躍させるなどした名指導者だが、コーチングのコツは中西いわく
「チームにいるイチバン下手くそと仲良くなる」
のだそうだ(参考文献 二宮清純『プロ野球の一流たち』講談社)
一方、学校の教師はどうだろう?
中西コーチのように、学級内にいるイチバン成績が悪いような生徒と仲良くなろうとしていただろうか?
通信簿の評価が4や5をキープするような生徒らとばかり仲良くなっていなかっただろうか?
人生一度は
「俺が教育をしたら、あの生徒の学力は絶対に飛躍する(できる)」
というような、ゴンザレスを再生させたコーチ尾花・小谷のような名先生に出会いたいものである。
また、若松のゴンザレス評のように、
「あの子は中学までは勉強が嫌いだったのに、高校に入ってからはガリ勉に変身した」とか
「あの生徒は他の先生が担任をしてもテストの成績がイマイチだったが、俺(教師)が担任になったら学力が飛躍した」というような先生の話を聞きたいね。 野村監督みたいな学校の先生
生徒の学力をアップさせ気合いが入っているのに、「もう歳だから」と退職勧告をされる先生
岡田監督みたいな学校の先生
関西圏で呼び声が高い先生
渡辺久信監督みたいな学校の先生
若禿の先生 続・野村(楽天)監督みたいな学校の先生
リンデンみたいな生徒に「オメデトウ(クレージー)! オメデトウ!(クレージー) オメデトウ!(クレージー)」
と言われ、監督侮辱罪ならぬ教師侮辱罪で停学処分にし、「目を見ればわかる。その目は謝っていない」「親を見れば子供がわかる」と言い、かつ学校側に退学等の処分を委ねる。
リンデンみたいな生徒
教師に短パンやTシャツ姿で謝罪に行って、咎められると逆ギレする。
※10数年くらい前までの学校教師(既に定年退職して世代もノムさんくらいだが)は、教師に逆らったり露骨に侮辱したりすると生徒に処罰を求めるなど、こういう教師が多かったが… ブラウン新監督は中学の先生?…楽天、就任正式発表
楽天・島田亨オーナー兼球団社長(44)が2日、仙台市の球団事務所で会見し、次期監督に前広島監督のマーティー・ブラウン氏(46)が就任することを発表した。
前監督の野村克也氏(74)は名誉監督に就任する。
球団史上初のCS進出に導いた老将が退任し、4年連続Bクラスの新監督に交代する異例の人事。島田オーナーはチームの現状を学校にたとえ、交代の意図を説明した。
「小学生を教えるのであれば、圧倒的な存在感と指導力で、選手が嫌と言っても『絶対やるんだ』と圧倒的な指導力で教えていくのが必要だった。
チームも成長し、今は中学校か、高校になった。そうすると父性は大事だが、同じ視点でものを考え、同じ視点で悩んで、一緒に体を動かし、一緒に喜びを分かち合える指導者が必要」。
来季創設6年目を迎え“進級”した球団について「次の5年は自走するチームを目指す」と言い切った。
これまでは良くも悪くも担任の名物教師“野村先生”の色が強すぎた。「野村監督は個人として強い力を持っている。野村監督の考えを組織として実現できるチームにしたい」。
ブラウン氏は采配した4年間、すべてBクラスと“指導実績”に疑問符もつく。「成績は華やかではないが、新人を発掘して育成する能力は高い」と表面上の順位にはこだわらない。
契約年数は「2、3年になる。1年目からシビアな評価はしない」と語った。
楽天小学校は「茶髪、長髪、ヒゲNG」の厳しい校則で有名だったが、楽天中学でも継続の方針。
熱血教師ブラウン先生のもと、金八先生のような青春ドラマが展開されるか!?
(2009年11月3日06時00分 スポーツ報知)〜ソース
http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20091102-OHT1T00330.htm
http://orz.2ch.io/p/-/tsushima.2ch.net/news/1257212207/ 岡田監督みたいな学校の先生
すぐ「そらそうよ」を言う 学校教師は、広岡監督(早稲田の教育学部出身)『野球再生』という本を読め 尾花監督みたいな学校の先生
アナライジング(分析)な授業をする 野村謙二郎監督みたいな学校の先生
新任早々、学級の学力の低さに悩まされる 藤井秀悟(現・巨人左腕投手)みたいな生徒
素行に問題があり、よく転校したがる 02年に高橋尚成が2度目の優勝した際に尻出しをしたとき、原監督が
「(今のおまえにはもう子供がいるんだから)もう、そういうことはやめなさい」
と、とがめられてたね。
さすがは、学校(社会)の先生らしい言葉 ブラウン監督みたいな先生
授業の後半に、まれに後ろ(外野)に座ってる生徒を前(内野)に来させる 野球って、監督のサインがないと何もできないんだな。
頭悪いし、堅苦しいし、何が楽しいんだろう・・・。
俺の息子の友達がリトルリーグに入ってるんだけど
この間、息子の入ってるサッカークラブに遊びに来たんだ
で、その日は俺がボランティアで監督やってたんだけど
その子も一緒にサッカーやろうって事になった
で、その子がなぜかモジモジしてたんで聞いてみたら
「監督、僕はどこに走ればいいんですか?」
「監督、指示をしてください」
「監督の指示がないと動けません」
「監督、ボールが来たらどこに蹴ればいいんですか?サイン下さい」
正直、俺は唖然とした・・・
野球というスポーツはここまで人間をロボット化させるのか!?
俺はその子に言ってあげた
「好きな所に走って、好きな所に蹴るといいよ」
そしたら、その子が
「失敗したらグランド10週ですか・・・・」
俺は涙が出た・・・涙が止まらなかった・・・
まだ9歳の少年にこのような言葉を言わせるスポーツって
いったいなんなのだ!?・・
俺は日本中の野球少年、いやマイナー球技奴隷たちを
洗脳から開放してあげねば・・・ サッカーやバスケットなどと違って、プロ野球の場合、なんか監督と選手の関係って学級担任と生徒みたいな関係に見えるよなぁ
>>83
昔(80年代)は、プロ野球に管理野球という言葉があったけど、管理サッカーという言葉はないね
管理教育も80年代までかな 大久保博元前・西武打撃コーチみたいな先生
デブ
体罰
遅刻してきた生徒から罰金を徴収(後で食事会などと称した学級行事で徴収した罰金は還元)
アーリーワークならぬ早出勉強(登校)を強要する
おかわり君みたいな同体型のデブ生徒の成績が飛躍的にアップする
中島やGG佐藤などのように既に打撃が出来上がっていたり成績が良い生徒には遭えて指導しない
プライベートで知人の女性に暴行事件を起こす
隠し子騒動が発覚する
事件を起こして教師を免職されると裁判を起こす
桑田のような暗い秀才と相性が良くない
近鉄消滅に関して関根潤三爺さんを番組内で激怒させたように、余計なことを人前で喋って年輩者を怒らせる
(以上、Wikipedia等参照) 清原みたいな生徒
担任(堀内)教師のことを「独裁者」呼ばわりする
弘田コーチみたいな先生
タフィー・ローズのように勉強、部活、学級委員など全般に活躍している生徒のことを「緩慢」などと批判する
タフィー・ローズみたいな生徒
教科担当教師から「緩慢」「怠け者」「サボり魔」「やる気がなってない」などと批判されると、キレて暴力をはたらく 渡辺久信監督みたいな先生
よくいい生徒を受け持たされる 達川監督みたいな学校の先生
中学生生徒が「具合が悪い」と申し出たら、生徒を早退させる。
早退させた生徒は卒業後、高校で無遅刻・無欠席・無早退で皆勤賞で表彰される(金本みたいな生徒)。
生徒のことを「文部省に推薦したい」「教科書に載せたい」などと誉める。
喋ることで頭脳が冴えまくる先生。 学校の5段階評価とプロ野球の打者の打率の関係
通知箋評価 5 打率3割3分
以上
通知箋評価 4 打率3割程度
通知箋評価 3 打率2割7分程度
通知箋評価 2 打率2割2分
程度
通知箋評価 1 打率2割未満 昨日放送された和田アキ子の『アッコにおまかせ!』で、「先生だったら嫌な有名人」ランキングで、星野仙一が出てたような…
(1位が紳助で、和田アキ子が10位、他沢尻エリカなど) スイマセン
星野は教えて欲しい先生ランキングでしたわ…(誤爆)
星野のイメージだと体罰教師、教材費に金がかかるとしか思えない…
ちなみに、イチローは教えてほしい先生5位
>>94 三原監督みたいな学校の先生
優秀な生徒を高級料亭に連れてゆく 土橋監督みたいな学校の先生
広島を「しろしま」と呼んだり、「ヒット」をシット、飛行機を「しこうき」、平田を「しらた」と呼ぶなど、ひを「し」と呼んでしまう(江戸弁) 水原監督みたいな先生
自身が監督を卒業した後の解説者時代の昭和53年、長嶋巨人が優勝を逃がした際に「今年の長嶋は采配ミスが目立ったが、長嶋は野球を知らないんじゃないか?」と長嶋を批判したように、
自身が定年退職した後に、教え子が教師に就いてからから学級・生徒の成績を下げてしまった際に
「○○(教え子)は授業ミスが目立ったが、○○は教育を知らないんじゃないか?」と、教え子に苦言を述べる。
【大阪近鉄バッファローズ 前川 勝彦投手】
野球をやっていれば人間的に成長します
http://www.japanlittle.jp/bokuno/01_maekawa.html
野球をやっていれば人間的に成長しますよね。
野球やっている人に悪い人はいない。がまんを覚え、
友達との強調とか、集団行動のルールなども学べるし、
礼儀も体にしみこみますから、社会に出てからも役に立つんです。
↓
【ひき逃げ事件と解雇】
2007年1月6日午後2時頃、車を運転していたところ、横断歩道で
自転車の女性と接触し全治1週間の怪我を負わせる。この時女性と口論になったが、事故を目
撃した領事館警備の警察官が駆けつけると逃走。これがひき逃げとされ翌1月7日に大阪府警
南警察署は業務上過失傷害と道路交通法違反の疑いで前川を逮捕した。
さらに2002年にスピード違反で運転免許を取り消されたまま無免許であったことも判明したため、
その日のうちにオリックスから無期限謹慎処分を受けた。その後1月17日に起訴され、翌1月18日
に保釈されたものの球団から自由契約を通告される。
経営の世界にて「人を残すは上」と言う言葉があるが、経営に限らず、スポーツの世界や学校教師とて同じ。
最近の学校の先生は、“人(生徒)を残せない”先生が多い。
例えば、誰かが
「あの先生は、当時は劣等生だった生徒●●君の学力を育てた」
「生徒の▲▲さんの才能や人生(将来や目標など)を見いだしたのは、あの先生の指導のおかげ」
と言ったり(言われたり)
あるいは、教え子側から
「僕を育ててくれたのは××先生です」
「今の私があるのは、■■先生のおかげです」
と言ってくれるような先生が、果たして今の学校に何人いるのだろう?
教師人生を通して、1人でも“生徒をつくった”と言うようなエピソードがまったく無い先生も少なくないのではないだろうか?
40人居る生徒全員を育てるのは不可能。しかし、何年、何十年と教師生活を通して、1人も生徒を作れない先生もいるようだ。
プロ野球なら、仰木彬(故人)がイチローの才能を見いだし、金村義明は仰木に感謝して仰木に関する本を出したり、番組で仰木の話をすると泣いてしまうほどの師弟関係でもある。
野村なら古田(ヤクルト)、赤星(阪神)、そして野村に関する本を出している山崎武司(楽天)を発掘・再生している。
仰木に花道をつくってもらった清原は、プロ入団時の監督である森に素養を引き出してもらっている。
プロ野球も選手全員を引き上げることは無理だが、監督生活の中で何人かの選手を育てたり、感謝されたりしているわけだ。
また、楽天の田尾は監督として采配が未熟だったために成績を残せずいい監督ではなかったが、打撃指導では山崎武司の打撃再生の橋渡しをしてくれたと山崎は本で述べている。
教師も、田尾ばりに授業が下手だったり学級経営が未熟な先生などもいるはずだ。
しかし、それでいて田尾のように生徒を育てた歴があるのなら、悪い指導者ではなく、人を残したいい先生なのだ。
巨人では、長嶋巨人の中畑打撃コーチが選手を発掘できずにチーム打撃成績も悪化させた上、当時主力打者だった駒田に離反されたが、
その駒田も楽天や横浜の打撃コーチになると、選手を発掘できず、チーム打撃成績も下げてしまう始末(創設開始だった楽天時代は比較できないが)。
こんなタイプのコーチは、学校教師にもいるはず。