成蹊大学
1968年 - 1969年の全共闘時代は社青同解放派が主流だった。
1980年代まで、ノンセクトがいて新聞会や文連を握っていたが、後に消滅した。
新聞会は1970年代に休部(のち1996年に復活)に追い込まれている。
1963年 - 学生会館闘争。
1967年 - 学生会館闘争での牧田君停学処分自主退学勧告に対し校門でハンスト抗議行動。
(牧田吉明は三菱重工社長の息子で、アナキストとしてのちに土田・日石・ピース缶爆弾事件の真犯人宣言をしたり、流行の先端をいくライブハウスや広告代理店を立ち上げたりした)。
1969年 - 学費学館闘争、
5月 成蹊初のバリスト(一号館)。
6月 - 総長室、学長室、総務局長室などを封鎖。一週間後自主解除。
9月 - 法経自治会室、新聞会室ロックアウト。
1974年 - 学費値上げ阻止闘争
12月 - 全学ロックアウト。
1975年 - 学費値上げ阻止闘争
3月 - 卒業式の前日に13名処分(無期停学7人、訓告6人)。
裁判闘争へ。
1988年ごろ - ノンセクトの社会科学研究会が消滅し、以後学生運動は存在しない。

牧田吉明(三菱重工社長の息子)がアナーキーだったのか笑