明治中期、校舎も敷地も全くない資産ゼロ?の学校が
認可に漕ぎ着けたのは
関係者の燃える熱気があったから。
司法官井上操、小倉久、堀田正忠らの熱気が上司の児島惟謙を巻き込み、
児島がそのまた 上司の山田顕義を抱き込んだ図式かな。
資産の全くない3日でつぶれてもおかしくない
海の物とも山の物ともわからない新設校を
情熱を担保に開校を認可した山田顕義は偉い!。

※同じ認可でも、森友学園・加計学園で見られる
 安倍晋三首相の腹の汚さと、気持ちだけで関大を認可した
 山田顯義司法大臣では 月とすっぽん。
 山田伯爵はこう揮毫したのです。
 「清風明月是我心」