姉は塗り絵騒動以来、妹を連れて来なくなったが父が妹を連れてきた。

(ちなみに姉は妹が持ってた手提げの中身は知ってたが私から横取りした物とは知らなかったようだ)

腕を吊り、ただ天井を見ている私。
見舞いに貰った玩具やお菓子を妹に渡す母と、それを私に見せつけながら食べたり遊んだりする妹。

そんな光景を見た父は翌日、私に包装紙に包まれた箱を差し出してきた。
喜んで包装を解こうとする妹を父は止めたが右腕を吊ってる私には包装は解けない。
姉が包装を解き、私の前に置くと箱を開けた。

それは小さな流しと食器がセットになったママゴトセットだった。

「これは×子(私)の物だ。・子(妹)は触るな、遊ぶな。渡すんじゃないぞ」
と母と妹に言い渡す父。
「ママー!」
母にすがる妹。

右腕が使えないので左手と足を駆使して遊び始める私を父は見守っていたそうだ。
(残念ながら私の記憶に残ってるのは遊んだ記憶だけで貰った事やその時の父の様子は後に姉から聞いた)
私にとっては幸せだったろうが妹にとっては修羅場だったろうな…この出来事。


あとはギブスを電ノコで切られた恐怖とか
手術室に入る際の恐怖とか色々あったがキリがないので割愛しますが
最大の修羅場は右腕に後遺症が残り右手の指がいまだにゆっくりしか動かせないのと、その事件の後の両親でしょうね。

私が骨折した事と、お仕置きで閉め出された妹の悲鳴と号泣で在らぬ誤解を受け、
私が通ってた幼稚園の保母さんが家庭訪問に来るわ、周囲から変な目で見られるわ、役所の職員が来るわ、大変だったみたいです