浄土系といえば、鈴木大拙は法然も親鸞も高く評価していたと思います。
妙好人として世界に広めた浅原才市も悟っていなかったのでしょうか?
もしそうなら悟っていた鈴木大拙も悟りの鑑定眼は甘いということですか?
それとも悟っていないとわかっていながら何らかの意図があって評価していたのでしょうか?