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江戸時代の実在の遊女に「大坂屋花鳥」と言う女がいる。

この花鳥、実に悪い女。島抜けに成功したことでも知られている。
花鳥 (15歳)。文政9年(1828)10月流罪。
新吉原江戸町2丁目、伊兵衛店、遊女屋しげ後見、宇兵衛抱遊女。榊原主計頭吟味。附火の科。
天保9年(1838)7月抜船致候。後、江戸にて死罪。三根村割当。

最初の罪状は「廓内の自室に火を付けた」。事
本来なら火付けは死罪だが、犯行当時15才未満だった事と
「火を付けたのは、楼主の虐待があったから」と言い抜けたことで流罪になった。
流罪先で同じく流人(殺人犯)の喜三郎と意気投合。
喜三郎他7人で語らい、小舟を奪って島抜け。
三年後に捕まって28才で処刑になった。市中引き回しの時には、遊女風の華やかな衣装を着て、
土壇場でも堂々と首を切られたという。死に対して達観は、当代の浅右衛門が日記で書き残すほどだった

一説には、美貌だが高慢で、客や朋輩の枕探し(窃盗)をする癖があった。
火を付けたのは、楼主から窃盗癖を叱られたの恨んだ結果。という
死罪前の女牢では名主(牢名主)になり、女牢に入れられていた女達を虐めていたともいう