昭和の暮らしを懐かしむスレ・28丁目
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カルピスのCMに出てたな
祖母がジミーオズモンドを見る度に「可愛い、可愛い」言ってた 明星のカメラマンによると、奈保子のバストはH89だそうで >>41
夕月かまぼこのCMといえば横綱若乃花
(若貴兄弟の若乃花でもなければ、その叔父の栃若時代の若乃花でもない) 大関までは若三杉ね
人気力士だったけど
色々ありましたねこの人も 何故かのび太のママがテレビ直すとき「45度」と記憶してる人多いけど
読み返すと60度の角度 >>161
若乃花になってから弱くなった気がする
名前が合ってなかった 割り箸を3本組んで作った櫓に登ってた夜店のヤドカリ >>167
若乃花の四股名がついた時は世間も「え…?」って感じだったな
で、本人も段々笑顔がなくなって性格も暗くなった感じ… >>169
やっぱり貴ノ花には名乗らせないんだって改めて驚いたね 自分には考えられないけど、ネットも携帯もない時代にそれまでずっと家族と実家に住んでた10代後半くらいの人が
実家から遠く離れた身寄りもいない知らない町で突然一人暮らしするって相当ハードル高くないか?
自分が初めて一人暮らしした時はスマホもあったし実家に帰ろうと思えば帰れる距離で
入居してからの数日間はまだ生活できる環境じゃないから夜は実家に帰って実家で寝泊まりしてた
一人暮らしのわからないことはネットで調べたし、この町のどこに何があるかもグーグルマップで全てわかった
もし実家に帰れない距離でネットも携帯もなしでいきなり一人暮らし始めるとしたら自分には無理な気がする >>172
大学の寮や近くの下宿屋、会社の寮ってなものは今より充実してたと思う。
そういう環境に身を投じるほうも受け入れるほうも、今とは感覚が違ったと思う。
誰も知らないとこに放り込まれることに対する耐性って、今だろうが昔だろうが個人差大きそうだけどね。 >>172
大学進学で上京した当時はネットや携帯どころか
最初の数か月は固定電話もテレビもなかった。
不安はもちろんあったけど、それより期待のほうが大きかった気がする。
どの店が安いとかおいしいかとか調べるのは自分の足で回るしかないけど
それが楽しかったんだよね。ネットやスマホがある今に比べて時間かかるけど
自分の足と目を使うからこそ学んだことも多いし、
自力で見つけたんだという思い入れも深かったように思う。 >>172
本当に“昭和を懐かしむ”歳なのかい?
ネットがないならないなりに、本やら雑誌(アングルっていうぴあみたい雑誌の増刊に世話になった)やらで調べたり、周囲に聞いたり、朝起きてから寝るまで家族(親)がいないならどうするかのシミュレーション、準備や覚悟はしたもの。
スマホ、ネットありに今の環境でそれじゃ、ちょっと甘えすぎじゃ…。
俺は憧れの独り暮らしでウキウキしてたけどな。
固定電話すら高嶺の花で、公衆電話で月に2、3回の近況報告だけでも別に心細くはなかった。それも、コイン矢の如しで、10円玉、100円玉が堕ちていった
当初は、食べ物や日用品で安い店を探すって発想がなく、ずいぶん無駄使いしたなと思う。 俺が一人暮らし始めたのは昭和61年だった
すぐ近くにサンチェーンとかあったし駅から徒歩10分だったし駅前も結構栄えてたから特別不便ではなかったな
ただ固定電話入れるのが遅かったからそこは不便だった
一人暮らしを始めて先ずは知らない街を歩いてみて街の様子を覚えたよ うちは母親が過保護・過干渉でとにかく子供の自立を妨げたがる毒親だったので家にいると息が詰まりそうだった
家を出たくて出たくて出たくて仕方が無かった
高校生の頃は卒業して家を出られる日を指折り数えて待ち焦がれていたもんだ そういや上京して一人暮らし始めた頃はまだ100均もない頃で
台所道具そろえるのに東急ハンズ通ったりしてた
コンビニも数えるほどしかなかったな
ATMが休日休みだったから数十円で週末をどう乗り切るかとかね 中森明菜 松田聖子 小泉今日子も歌がうまかったな。 コインランドリーは昭和の方が多かった記憶
平成に入って暫くすると近所のコインランドリーが何軒かやめてしまったから >>178
東急ハンズがあるのに100均がないって、どこに上京したんだ? まさか東京じゃないよな? >>181
雨ばかりなので洗濯物乾かしに行ったら潰れてた... 腐敗する側にも腐敗はいけない事という自覚があった
腐る時はバレないようにコソコソと腐っていた
腐敗が明るみに出たら相応の責任を取らされていた
文書を改竄捏造隠蔽してでも正当化を目論むやり方は見られなかった
腐敗してもなお支持し続ける狂信者も少なかった >>182
100均が出てきたのはバブル崩壊後
まだ消費税が3%の時代
そう言えば上京して、ホームセンターが無いのには、ちと困った記憶がある 100均といえば月に何回かデパートの催事場で開かれるものだった >>186
おいおい、もしかしてダイソーみたいな100均の大手チェーンならそうなのかもしれないけど、昭和40年代後半には、スーパーに100均コーナーができたり(期間限定のもあったのかもしれないけど、常設もあり)、普通の商店みたいな感じの100均の店があったよ。 そして安かろう悪かろうだった
ちんなもそれが当たり前と思っていた
今はダイソー商品でもみんな文句すぐ書き込む >>172
全然平気、むしろ好都合。
親なんかと簡単に連絡つかないのがいいんじゃん。
今の子ってホント依存的というか親子密着だよなあ。
乳幼児の時は出来る限り預けたがるのに。
つーか昭和の記憶ほとんどなさそうなのに何でこのスレにw? >>173
廃業した町工場の社長夫婦の自宅と、作業場の表の方を壊してるのを見た。
そしたら、工場棟の二階部分は、住み込みの従業員のための居住施設みたいになってた。
お風呂はないしトイレも共同だろうけど、昔は近所に銭湯もあったからね。
今は、そういう「田舎からいきなり都会で一人暮らし」の人のための場所がちょっとお金がかかりすぎるのかもね。
他の従業員たちと共同スペースもいや、トイレが共同なのも嫌だし近所に銭湯もないからお風呂も必要と来てる。 >>188
地域性もあるかも知れんが
スーパーの100均コーナーは常設では無かったな >>190
聖子が上手いかどうかは措くとしてキョンキョンはヘタだったと思う
聖子の特徴は、アイドルとは思えないほどデカい声を出せることだね 学生用にも賄い付の下宿が沢山あって、それこそ着替えさえあれば一人暮らしが始められた
80年代の初めだと、東京にもわずかに残ってたな >>193
うーん、地域性か。
とくに先進的な街に住んでたわけじゃないから、都内ならだいたいそういうもんかと思ってたのが、実は最先端?だったりしたのかもな。
私的には、東急ハンズってなんかすごい店できた!ってののずっとまえから100均なんてあったもんで。 社会人になりたての時は寮生活だった
一人一部屋だったが、自分が入社する数年前までは二人の相部屋だったらしい
ラッキーだった
相部屋とか考えただけで発狂しそう そういや、落合博満はルーキー時代から個室だったというなあ。
…特別扱いじゃなくて、いびきが破壊的にうるさいので、誰も同室を希望しなかったという。 >>197
そりゃまぁ、春なのにのレコーディングの際だったか、中島みゆきに「歌、意外とお上手ですね」と言われたとかいう伝説があるくらいですから。 松田優作 探偵物語で主演を演じた
薬師丸ひろ子主演の 映画 探偵物語(赤川次郎の小説
が原作でドラマとは無関係)
辻山秀一を演じた
http://momi6.momi3.net/sw/src/1595317203283.jpg 学生下宿、共同洗濯機は当たり前、火事の恐れがあるのでストーブ類禁止
共同アンテナなんかないのでテレビのアンテナの向きを変える
それでもだめならつまみを回す
俺は仕送り少なかったので、隣室のが帰省のたびにテレビを借りていた 薬師丸ひろ子は
「探偵物語」と「あまちゃん」で松田親子と共演したのか。 東和のチェーンマスター館:
◎旧・日比谷映画(1375席・デカい)・・・現在は日比谷シャンテ
『バトルクリークブロー』
『ヤングマスター/師弟出馬』
『キャノンボール』
『ドラゴンロード』
◎旧・有楽座(1572席・一番デカかった)・・・現在は日比谷シャンテ
『キャノンボール2』
『プロジェクトA』
◎旧・日比谷スカラ座(1197席)・・・宝塚劇場の4Fにあった頃
『スパルタンX』 電気街の頃から家電に金かけて衣服には金かけないようなダサい服装した奴が集まるオタク街だったけどな >>194
小泉はキャラだけで持ってる印象、アイドルとバラドルの中間的な、
ルックス、歌、トーク、演技、どれも平均レベル、特筆すべきものがなかった、
良くも悪くも当時の等身大の女の子という感じ。 なんだかすごく記憶にある事件事故とか
よど号(なんか大人が騒いでる)、安田講堂(意味も分からずずっとニュース見てた)、田宮二郎自殺(好きだったので衝撃だった)
豊田商事社長刺殺、ホテルニュージャパン火災、
片桐逆噴射、123便墜落、金属バット親殺し、新宿バス放火、東慎一郎神戸事件、地下鉄サリン、歌舞伎町明星56ビル放火、9.11、3.11 >>218
俺は、何歳か上なんだろう。
なんか大人が騒いでる記憶があるのが、三億円事件と三島由紀夫の自殺。
もう少し大きくなって起こったあさま山荘や連続企業ビル爆破は大事件であることがわかったが、事件の背景がわからなかった。
大阪の地下鉄工事のガス爆発、千日前ビルと大洋デパート火災も悲惨で、避難とか考えてない杜撰さにあきれた。
年に一度は飛行機事故が起きていて、新聞に乗客の顔写真がびっしり並んでいた。
深川通り魔事件もインパクトが大きかった。
暗くない出来事は、王貞治の世界記録、パンダ渡来、モナリザ日本公開,エリザベス女王の来日。 >>218
安田講堂とコンバットの区別がつかなかった
座布団重ねたバリケードに折り紙の兜とおもちゃの鉄砲持って籠城してる、「安田講堂ごっこ」の写真が残ってる >>221
アポロ計画(月面着陸)と特撮の区別がつかず、宇宙人を発見、もしくは捕まえるプロジェクトだと思い、失敗した計画だと思っていた。
月に行ってどうするの、と思ってたし、仕方ないから月の石を持ってかえって大阪万博で飾った、もしくは、計画全体が万博で月の石を飾るためのものだったか、と認識していた。
ちなみに我が家は、親父がテレビ、新聞で見ていることは野球かプロレスばかり、母親も社会に疎く,こどもは大人の世界に首を突っ込まないで外で能天気に遊んでいろ、とばかり、アポロがどれだけの偉業かとか、よど号、あさま山荘事件(大学行かせてもらってあんなことしてたんじゃ親がかわいそうとは言っていた)など、世の中の事件、出来事を俺に教えようとした記憶がない。 昭和の時代だと
どら焼き って無かった。とは言わんが一般的でなかったよなぁ
オヤツとしてなら
大判焼き、たい焼き、大福だし
贈り物としてなら
最中、饅頭
ドラえもんを見て違和感を感じなかったから
食べた事はあるのだろうけど、記憶にないんだよなぁ 子供の頃よく千成を食べてたのでどら焼きは普通にある物って感じだった ドラえもんは昭和の時代に始まった漫画で、ドラえもんがドラ焼き好きな設定は初期からあったから、昭和の頃からどら焼きという呼び方の和菓子はあった
QED >>226
ゆとり?
「昭和の頃からどら焼きという呼び方の和菓子はあった」
それを否定しているわけではない。
「どら焼き」は一般的でなかったね。 と言う話なんだが。 >>227
多分、地域によって呼び方が違ったから、感じ方も違うと思う 子供の頃は世界が狭いから自分の周りが普遍なことだと思いがち
でも大人になってもそれに気付かず他人をアスペ扱いはいただけない >>227
個包装になって一気に広まったが、その前はマイナーだったわけじゃない
大福や鯛焼きと同じくらいに普通だった >>234
ああいう和菓子は普通にどこの和菓子屋さんでも売ってたね。
大阪じゃ三笠って言うのが普通で、ドラえもんの中でどら焼きを見て、あれって三笠だよなって思ってたら、そのうち売ってるところでもどら焼きって言い出した。
でも今でも昔から売ってる和菓子屋さんでは三笠って言ってるみたいだ 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも…
真ん丸などら焼きを三笠山の出てる月に見立てた、名前だよね、多分 縁日で売ってるベビーカステラ
神戸じゃ「落とし焼き」って言ってたけど他の地域では何て読んでるの >>236
>ああいう和菓子は普通にどこの和菓子屋さんでも売ってたね。
地域性かも知れんが、ウチの方では無かったなぁ >>239
あちこちで同じ名前使ってたら、もう単なる商品名じゃなくて一般名詞だよ >>242
ウチの方では昔からどら焼きだったよ。
三笠なんて聞いたことがない。 >>244
そういうのは地域によるんだよ。
他にも関東の方で今川焼きとか言われてるものも関西では回転焼きとか御座候とかが普通だったりする。
ただ、どら焼はドラえもんの影響が大きくてどら焼という呼び方で塗りつぶされそうな状態になってる。 漫画、小説、ドラマ、映画等で
どら焼きが出ていた作品ってあったかな?
と考えてみるけど、パッと浮かばないな。
昭和時代の作品で、かつドラえもん以外と言う条件ね。 昭和にはカステラはごく一般的な菓子で誰でも知ってる結構食べたことある物だと思うけど、どら焼きは価格的にもカステラよりももっと普通にある物だったと思うなぁ
てか普通すぎて話題に上がらない物だったかと >>249
カステラはちょっと贅沢なお菓子だったって印象があるな。お使いものになったりする。
どら焼(関西じゃ三笠だよー)は主に自分の家で食べるために買う。 三笠のどら焼きを三笠と呼ぶのは何ら問題無いが
三笠以外のどら焼きも三笠呼ばわりするのは頭おかしい わかりやすくコピー機に例えてみる。
A 社ではゼロックスばかり使ってるので、コピー機はゼロックスと呼んでる。
B社では、リコー製を使ってる。
でもA社の人が、B 社のコピー機をつい、ゼロックスと呼んでしまうこともあると。
本当は、単に「コピー機」なのだが >>252
「三笠」「どら焼」で「コピー機」に相当する呼び方ってあるのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています