>>819

馬鹿鬼や?

そろそろこちらから言わせて貰う。

阿頼耶識が現量でないとすれば、当然にそれは比(非)量となり、阿頼耶識の映し出す世界、即ち相分は言語作用を伴ったものとなる。

つまり、自身(有根身)や宇宙(器世間)には名称が予め備わっている事となる。

それは何語だ?

名称が予め備わってるのに、何故言語が違う?
何故言語を学習する?

阿頼耶識が現量はないのであれば、それを説明しろ。

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