>>835
俺は40代だけど、父親(5人兄弟の次男)は満州出身。

祖父は、国鉄職員(機関助手)で、当時給料が良かった満州に出向していた。
祖母は、外地邦人のための花嫁募集で満州に行って祖父と結婚した。
5人子供産んで、引き上げてきた。その船上で、一番下の娘が餓死。
乳幼児は泣いて煩い。ということで、母親達は甲板上に固まってたんだと。
それで、泣かない子は死んだと見做されて海上投棄(水葬ではなく、投棄される)されるから
弱った子供と母親を真ん中にして、廻り固めてたらしい。
死んだ子の母親も、ずっとあやしたり乳やるフリしてたそうだ。でも食料も水も不足してるから、禄に乳なんて出ない
死んでると判ると蹴倒されて取り上げられて海上投棄される。
それをするのは船員より、同じ引き揚げ者が多かった。
船員は布で日よけ作ってくれたり、水や食料を持って来てくれて気遣ってくれ、黙祷して送るなど、水葬の形は取ったらしい。
引き揚げ者は、悪態をついて投棄する人が多かったそうだ
(自警団的なモノが組織されていて、見廻っている。瀕死だが息のあるものも投棄されることがあったそうだよ)

祖母は晩年、上記の話をしては泣いたり、相手を自警団だと思って掴みかかったりしていた
施設入所後は、従姉妹の訪問は親父立ち兄弟が阻止していた。
祖母からその話を聞かされた親父の姉と妹は、鬱になった。