戦争が激しいなった時、祖父は生き残るのが難しいと言われた南方の激戦区へ配属。
祖父自信も生きて帰れないかもと思ったらしい。

けど祖父は器用で頭が良かったので通信兵の役割を与えられ、通信機にくる情報を一番先に得る立場となった。
おかげで部隊の状況を正確に把握でき、上官が逃げ出した時に自分も逃げるべきか。
どこに逃げたら良いか、正確に判断できて生き残ったとか。

逃げる際も、捕虜の扱いが比較的人道的だと言われていた米軍の方に逃げ。捕虜収容所で、極貧だった日本時代には考えられなかった様な良い食事や生活を経験しながら生き残ったそうだ。