祖父、戦時中は医学生で国内にいた
度重なる空襲警報に嫌気がさし、避難せずに医局で数人残り麻雀してた
大学に空襲、防空壕に避難した仲間は全滅
防空壕に移動しないで麻雀してた数人だけが生き残った 
大学に残り出世する気はなくなった
80過ぎて永眠するまで「おまけの命だ」と地域医療に勤しみ
叙勲の話も断って逝った
物心つく前からずっと繰り返し懺悔のように聴かされた自分の心は修羅場