信州人による戦国時代の関西人批評
まともなのは奈良だけ

近江 近江国之風俗は賢佞之間を兼たる風儀なり雖然賢智之人を聞く事なし。
山城 此国の風俗実を用勤る人すくなき故、不知義理也。
大和 古より芳野山奥は人の気五畿内之人に勝れて、いさぎよき也。
摂津 柔弱虚談之国風故武は用るに不足也。
河内 士農工商どもに富貴成人は都而驕り之気有て人を足下に見いやしむ心強し。
和泉 此国は唯野狐に衣服をしたるに似たり。不頼也。
紀伊 紀伊国の風俗不律儀第一に而、陽気甚しくいやしく。上と而は下を貪り、下は上みをあなどり、法令を不入而、更に言語に絶たり。
播磨 善に定る事なし。
丹波 昨日味方に有し、人も今日は敵となり、而前になり替り渡世する類之風俗最哀れ成形儀不及、是非事とも也。
丹後 人は気質直なれば勇気なく、勇気あれば邪智有、亦愚智也。実あれば気不叶、兎角擧て難用国也。
但馬 但馬国の風俗は丹後、丹波よりはまされり。
(『人国記』)

新潟編
北条丹後守(上杉家家老、越後戸中城主)「五畿内・中国の町人によく似ている侍ども」(『甲陽軍鑑』品第54)

山梨編
武田信玄「上方の敵は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯なことでもすると聞いている」(『甲陽軍鑑』品第三十九)