今じゃ考えられない昭和の生活◆92
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
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【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆91
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1542975485/ ていうかさぁ、微用工や韓国海軍駆逐艦のレーダー照射されたくらいで日本人は騒ぐな。
あれ「終わった話だ。」
ネットが普及してから日本人騒ぎすぎ!! かつてCMの温泉入浴シーンで高峰秀子が半乳出していたことで
話題になったフルムーンパス。
その時の印象で「老人向け福祉的お得切符」というイメージだったが
いつの間にかとっくにその対象年齢を超えていた。
「二人の年齢をあわせて88歳以上のご夫婦」
以下 フルムーンパス対象有名人夫婦
(婚姻中だった) 高橋ジョージ三船美佳夫妻
木村拓哉 工藤静香夫妻
田中哲司 仲間由紀恵夫妻
片岡愛之助 藤原紀香夫妻
反町隆史 松嶋菜々子夫妻 去年起こったレーダー照射すら認識の合致できないのに
100年前の歴史認識のすり合わせなんてできるわけないわなあ・・ >>96
プーチンに領土を年金基金投げ出して買おうとした国賊だぞ 安倍総理の祖父は岸信介
鳩山由紀夫の祖父は鳩山一郎
政治に詳しい人なら意味がわかるだろう。 昭和の時代は家単位の考えだったから
父親が嫁に行った娘に「おまえはもうあっちの人間だから
うちとは縁も縁もないんだ」とか言ったり
夫や妻の兄弟姉妹だけじゃなくてその配偶者までも
「にいさん、ねえさん」と呼んでたりした >>103
今は「ご義兄さん」とか「お義姉さん」とか言わないの? 何て言うの?(←煽りじゃない) 安倍総理の祖父である岸信介総理
アイゼンハワー米大統領と日米地位協定を締結して
首都圏空域他に多くの日本主権を米国へプレゼント。
安倍総理
北方領土をロシアへプレゼント。
ロシアに3000億円経済援助と北方領土「ロシア主権下の開発」を認める。
25回以上会談しているプーチン大統領から得た言質は「信頼感の醸成」だけ。
最近は「北方領土という言葉止めろや」と言われる以前より後退感。
正に「売国奴」家系。 >>105
うちは「名前+さん」
周りもみんな同じみたいだな 下駄箱には下駄が入ってて
筆箱には筆が入ってて
歯磨き粉は粉だった でも、さすがの昭和でも豚箱には豚は入ってなくて、虎箱には虎は入ってなかった >>105
オレは「お義姉さん」。姉貴の旦那は俺より10も年下!なんで「ヒデキ君」 自分の兄や姉の配偶者を、お義兄さん、お義姉さんと呼ぶのは
「義理とはいえ貴方は俺の(私の)姉(兄)なので、邪な関係にはなりません」と意思表示する意味合いもある
義兄義姉本人にだけじゃなく、自分の家族や周囲に対する意思表示でもある
つーか、俺の妻を名前で呼ぶ弟なんて嫌だわ
お前の女じゃねえから義姉さんと呼べと言うわ
妹なら妻を名前呼びしても構わないが 叔父は、義理の姉であるうちの母を「ねえさん」と呼んでいる。
父と叔父が20歳以上違い(八人ぐらいの兄弟の両端)、母が小さいときから面倒みていたから、まさか「ふみさん」なんて呼べないよね >>105
馬鹿「『福一の汚染水はコントロール』と言い切った安倍総理は国士だ!!水道法改正・入管法改正!!」 >>105は>>106の間違い。
馬鹿「安倍総理が再来年まで辞任するなんてあり得ない!!次の総理は小泉進次郎先生だ!!!」 安倍晋三を擁護するのは岸信介を擁護するのと同じだからな。 岸信介が日米安保を結ぶ前に
吉田茂がGHQに日本を売った。 >>112
> お前の女じゃねえから義姉さんと呼べ
煽りじゃなくて50〜60歳くらいの人? 高校の時化学教師が授業の前に「スポーツやバラエティーに興味を持つと、前頭葉が退化するから、化学に興味持ちなさい。」と言っていた。 中学生になったんだから、アホなテレビ等一切見るな!とさかんに言っていたな。今はスマホは何時間までとか言うと、個人の自由はないのか!パワハラだ!とか学生と親に徹底的に痛めつけられ謝罪会見させられそう。 >>120
中高の同窓生の父親が大学教授で、テレビ全否定で家にテレビがなかった
その代わり本が山ほどあったけど、そいつは全然勉強できなかったな 雑誌の付録は紙製品しかダメという規則があったので
付録といえば、組み立てて作るペン立てとかすごろくとかのおもちゃの類だった
男子向けなら恐竜とか車、女子向けなら着せ替えが鉄板
今はアクセサリーから模型、バッグや服まであってすごいね >>122
女子向け雑誌の付録が、ノート便箋カードゲームレター差しやペンケース便箋封筒ポスターなどと実用的なものが多かった。
なんでも「下らない物は買ってあげません」という親へのエクスキューズだったり、戦前の女学生のお姉さんがそういう付録を
欲したりというのがあったそうな。
結局、男児は付録無しの週刊雑誌を求め、女児は現在に至るまで実用付録付き雑誌を求めた。
週刊少女誌は、ヤング誌創刊時にそっちに執筆者をごそっと取られて隔週化した。 >>122
パソコン雑誌で、ソフトウェアが付録になっている場合のメディアとして、3.5インチフロッピーディスクが普及してからでも、5インチのフロッピーディスクしか付録に付けられなかった時代があったな。
3.5インチフロッピーディスクが雑誌の付録でもOKになったのと、CD-ROMがOKになったのが、そんなに時間差が無い印象がある。 メンズビジネスソックスの黒いパンストみたいな透けるやつ
みんなはいてた
ビジネスホテルの廊下の自販機でも売ってた
あれ今思うと何だったんだろう
男子高校生とかもはいてた
流行は繰り返すけどあれがまた流行る時代は来るのだろうか >>125
あったあった
リーマンの特徴の一つだった
最近絶滅したよな >>118
年齢は関係ないだろう
若い頃から俺はそういう考えだぞ
逆にお前は何歳なんだ
質問に質問で返すのは愚行だが、
人に物を尋ねる時はまず自分からだぞ
先生に教わらなかったか? >>128
横から失礼、さらには話の趣旨とずれるけどゴメン
> 質問に質問で返すのは愚行だが
それ言う人よくいるけど、理由わかった上で言ってる?
まず、「質問に質問で返すな」というフレーズそのものは志村けんのコントだよ
警察の取り調べの場面で
「何でこんなことやったんだ!」
「さあなんででしょうね?」
「質問に質問で返すな!」
というネタ。そしてそれを引き継いだのがジョジョの吉良吉影の台詞
その辺を踏まえた上で使わないと恥掻くよ
さらに掘り下げれば竹下登の「言語明瞭、意味不明」が当てはまる
これだけじゃわからないだろうけど、説明すると長くなるのでググってみて 渥美清「パンシロンでパンパンパン♪」
沢田聖子「パンシロンでパンパンパン♪」
渥美清「パンシロンでパンパンパン♪」
沢田聖子「パンシロンでパンパンパン♪」
渥美清「パンシロンでパンパンパン♪」
沢田聖子「パパ、この歌終わんないね」 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) こんなんで警告かよ
繰り返しネタ使えねえじゃん
天丼もご法度か 志村以前に
質問に質問で返すな は一般的ではなかったという解釈かいな 対談 「今の政治で日本がもつのか」 2019年1月16日
衆議院議員自由民主党 村上誠一郎さん
vs 認定NPO日本再生プログラム推進フォーラム理事長 藤原直哉
http://www.fujiwaranaoya.com/tai190116.mp3
年金の破綻は国民国家の破綻
年金は持続不可能
https://www.fujiwaranaoya.com/190116nd.mp3
国債は円建てだからデフォルトしない
国債の9割は国内で保有
日本は資産たくさん持ってる
日本は対外純資産世界一
日本は経常収支黒字
日銀保有国債は統合政府で見ると帳消し
こういう財政楽観論は、今、自分だけが、財政出動で稼げる人間の妄想です。
まず地方公務員の分限免職から始まります。 改元ですね。
自治労擁護の野党は国を滅ぼします。
国の税収59.1兆円
公務員人件費26.4兆円
税収ソース
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/a03.htm
公務員人件費ソース
https://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2015/seifuan27/05-17.pdf >>122
ソノシートがついてた時より前の時代の話? >>133
志村のコントとジョジョの例は「質問に質問で返すな!」という定型句の元ネタ、という意味
そして、一般的ではないというよりも村社会の象徴とも言える悪しき慣習みたいなもんだな
まず、質問に質問で返すことがNGなのは上から下への質問に限定される
そして何故それがNGなのかと言えば、村社会での会話は情報伝達以外にも地位の確認の意味合いが強く含まれるから
つまり質問の形にはなっているが、内容は質問でないので、下の物は聞かれたことに答えることが礼儀であって
それに異を唱える(質問を返す)ことは非礼になるということ
上の者は「質問」に対して目下の者が素直に答えることで地位を確認しているわけだ
なので自分が目下だと思った人間が質問を返してくると怒るということ
実際に質問に質問で返すことが非礼なケースも当然たくさんある
ただ、内容に関係なく「質問に質問で返す」ことに対して脊髄反射で怒ってる人間が多い、ということ >>138
追記(実例)
マスコミ受けが良かった松井は「どうですか?」という間抜けな質問に対しても
その場で聞かれてることを推測して答えていた
マスコミ受けが悪かったイチローは「どうって、何が?」と返して嫌われていた
何かを達成したときのインタビューで「次の目標は?」と聞かれたときなんて
「うわ、ベタな質問ですねぇ。はい次」といなしていた 「自分が知ってる一番古いのがなんとかの起源」て言い張る人は意外に多いね
その自信の根拠がわかりにくいな >>140
起源はどうでもいいんだよ(余談みたいなもんだ)
言いたかったのは>>138の後半
極端な話が「今度の日曜ヒマ?」「なんで?」とかでも怒る奴が多いので
上の人なんて「愚行」とまで言い切ってるから一言(じゃないけど)書かせて頂いた 「明日、空いてる?」とか訊いて来るヤツはクズ
用件を先に言えよ
内容によって行くか決めるだろ >>142
それで「空いてるけど」って言うと「じゃあ引っ越し手伝って」とか言うんだよな
「イヤだよ」と言うと「暇だって言ったじゃん」と来る 話変えて悪いけど、正司敏江・玲児の跳び蹴り漫才って
子供の頃見たときは玲児が敏江の顔面を蹴ってたイメージがあるんだけど
そんなに跳んでたっけ?
プロレスラーでもあるまいに顔面までジャンプできないよなぁと思いつつ
子供の頃はそういうのを見た記憶がある 昭和から平成になって、漫画のレベルがすごい上がったと思う
昭和のなか頃の漫画なんて、今見ると素人?ってレベルの画力だったりする
今はデビュー作でも既にこなれた感じの絵ばかりでびっくりする
皆、デビュー前が長いんだろうね
あと昭和には、スクリーントーン無しの漫画が結構あった
点描は全部手描きだった >>145
やっぱり記憶違いかなぁ
肩くらいまでは水平ジャンプしてたような・・・無理かw >>146
天才バカボンなんてバックが何もないコマとかあったよね
水木しげるの漫画はバックがすごく緻密で、点とか全部(アシスタントの)手書きだったそうだ 自分は逆に、今の方が画力ない人が目立つなと感じる
なんというか、線にメリハリが無くて、紙を切り抜いたような体や髪で、表情にも締まりがない
塩顔と言えばその通りなんだけど >>144
跳び蹴り漫才っつーか、どつき漫才の代名詞なんだわ敏江玲児って
あとこれも割と有名
ttp://pbs.twimg.com/media/Ch7UEj-UYAEeCjU.jpg >>144
跳んでたよ!
奥さんの方も腰屈めてたと思うけど、
すごく小柄な人だったよね。
ほとんど水平に見える跳び蹴りが決まると、どよめきが起きてた。 >>150
レッツゴー三匹もすごかったんだな
>>151
やっぱそうか! そう、ほとんど水平の跳び蹴りが記憶に残っているのです
懐かしい マンガにしても音楽にしても、結局は自分が生まれ育った過程で読んだりきいたものが、その人にとっての基準になるかもね。
自分はガキの頃の音楽、マンガ、スポーツ等が娯楽分野では一番しっくりくる。 菓子屋でおもちゃを販売しちゃいけないみたいな法律があったらしい。だからけっこう大そう
なおもちゃでも、必ず美味くもないガムが2つとかついていた。 >>145
リアル沢村忠応援してたわ
「キックの鬼」も熱くなって見てたよ >>154
駄菓子屋はよかったのかな?
コマとかヨーヨーとか吹き矢とか買ったけど >>156
そんなモノより火薬を使ったブツが心動かしてたわ >>158 あばれはっちゃく、ってその時間じゃなかったっけ
ばーちゃん危篤すぐ来い、って叔父から電話かかってきてその途中やったおぼえがある
おかんがさっさといくで、いうてカブとばしてかけつけた、義理間に合ったけど、おもいっきり泣いた >>160
ロケットか
それも遊んだな
あと誰もが遊んだ銀玉鉄砲 >>162
とーちゃん情けなくって涙が出てくらー! うちは固かったのでNHKばかり見させられた。大草原の小さな家、刑事コロンボ、警部マクロード、などのアメリカ作品。新八剣伝、真田十勇士、プリンプリン物語、三國志、ひげよさらば、などの人形劇。
受信料制度なんか知らなかったから、お気楽だったのだろうと思うが。 白血病で死んだ子供の記録という内容の昔の本を今読んでるんだけど、その子が生前に描いた絵がちらほら載ってるの。
んで、最後に描いた絵ってのが、ムロタニツネ象の「地獄太郎」の模写。
…いや、こんなこと言っても仕方ないんだけど、もうちょっとましな題材はなかったのかと思った。 キャプテンフューチャー、未来少年コナンも好きだった。
あとでキャプテンフューチャーの原作読んでコメット号が単なるロケット型宇宙船と知ってがっくりきた覚えがあったw >>166
新八犬伝見てたよ
坂本九さん…
ところで「はっけんでん」で飲み屋しか変換で出てこない俺の泥にムカつく >>163
違う違う。
水木しげるのアシが後のつげ義春ってこと。 最近のアニメの画の綺麗さには驚いた。
ライムスター宇多丸がアニメ映画「君の名は」の評論で言っていた
「感動しないけど感心した」が正にそれ。 >>170
ええええええ!そうなの!!?? それはびっくり
ゲゲゲの女房で柄本佑が演じてた人かな? それとも斎藤工かあるいは窪田正孝か >>169
さもしい浪人さもじろうだな
ジョー90とかキャプテンスカーレットとかも好きだった >>168
ボケ、コメット号は涙滴型じゃ
アニメの劣化型ディスカバリー号は許せん >>173
ムロタニ先生はビリビリビートが好き
アニメ化名「カミナリ坊やピッカリビー」 >>170
つげ義春は、水木しげるのアシスタントやって絵が上手くなった説があるよな。 >>172
初期のアニメ作品の作画技術の向上っぷりを見るのが楽しい。
バンクをうまく使えたり、リミテッドのコツを掴んだりとかいったスキルの蓄積とかも。
エイトマンの頃は、「こういう絵が描きたいけど描けないんだよお!」というもどかしさが伝わってくるけど、四年後の
マッハGOGOGOの頃には、ちゃんと劇画調の写実的な手がキーを捻って写実的な脚がアクセル踏んでリアルな
メカが走ってる。
子供の時再放送で見て、作画は70年代風で人物の造形や色使いが昔風のちぐはぐな作品だなあと思ってたら、
昭和42年制作と知って舌を巻いた。 >>173
ちなみに、模写してたのは、第2巻の表紙絵に相当する部分。
オリジナルの絵は年相応だけど、漫画の模写と写真を参考に下絵はうまい子だった。 >>169
坂本九さんがお亡くなりの飛行機事故について若い世代が、
「乗客のスマホの位置情報から救助に向かえなかったのか」
とネットで書いていたのを見た時は愕然としました。 その人がいくつか知らないが、お前が赤ん坊の頃でもまだスマホはなかったよと教えてやったらどんな反応するんだろう
と思ったが、どうせ「マジで?」「ヤバいw」しか言わないだろうな スーパーカーが騒がれてた時にマッハ号みたいにジャンプする車を期待してたんだがガッカリしたわ >>180
アニメ手法の進化と言えば、昭和の頃に
「家なき子」のアニメで画期的な手法が採用されて
背景を3分割して、近景、中景、遠景をそれぞれ別に動かすことで
リアルな描写を可能にした、ってのがあったけど
主人公が走る場面の背景で、何故か遠くの景色が速く動いて
手前がゆっくり動くという、実際とは逆になってたのに
それを紹介していた特番でも誰も指摘してなかった >>180
マッハGOGOGOなどの初期のカラーアニメの色使いがけばけばしいのは
白黒テレビでの見栄えを考慮したため。
1975年頃、ようやく白黒テレビを考えない番組がつくられるようになった。
秘密戦隊ゴレンジャーやアタック25など。 >>186
あと、魔法使いサリーの当時のスタッフが、「当時のカラーテレビの発色性能に合わせた」と証言してます。
キャプテンウルトラの宇宙が青いのは、当時の家庭の大半を占めていた小型のモノクロモニターだと、見辛くて
何が何だか判らない(モノクロにするといい按配で宇宙に見える)からだとか。
当時の大人達の証言では、「とにかくカラーテレビは色がぎらぎらして目に刺さった」とかで、カラーテレビを購入
しても、老人達は「今までのテレビは捨てずにわしの部屋に置け」と言ってたそうです。 カラーテレビで懐かしい話を思い出した
兄ちゃんが5歳のときにカラーテレビが欲しくて仕方なくて
でも「高いから我慢しましょうね」とママに言われると良い子だった兄ちゃんは「うん」と言うものの
その夜お風呂でシクシク泣いたりして「カラーテレビが欲しいの?」と聞かれるとコクンと頷いて
「でも高いから我慢ね」と言われるとコクンと頷く
次の日もまたお風呂でシクシク泣いては諭されて我慢
こんな日が10日ほど続いたある日、我が家にカラーテレビが届きましたとさ
当時1歳だった俺が5歳になった頃は欲しい物があればデパートだろうがお店だろうが
床に大の字に寝転んで「買って買って買って買って!」と買わせていたそうだ(あんまり覚えてない)
どちらも昭和の光景ですな >>189
ちなみに支払いは近所の電器屋との交渉で10回払いの「月賦」
高価な商品なのに信販会社なんて通さずに口約束で毎月現金を持って行った
これも今じゃ考えられないな− 昭和のカラーテレビを買う感覚って今で言うと50インチの8Kテレビを買うような感じなのかな >>191
今ググって見たら、物価が今の1/10くらいの時代で(大卒初任給2万円くらい)
当時のカラーテレビの価格は17万円だってさ
つーことは、シクシク泣く可愛い長男のために170万円相当も出費したのか、あの親馬鹿オヤジは! うちは親父が機械道楽だったので、昭和46年にカラーテレビを買いました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています