まだ未就学児のころ、当時2歳か3歳の妹と、すでに小学四年くらいだった姉が家の前で遊んでいた。経緯は忘れたけど、姉は自分の自転車とスケボーを縄跳びを結び、妹をスケボーに乗せて牽引するつもりだった。
姉のスタートダッシュが悪かったのか、妹は即道路に放り出された。まだ軽いせいか、後方へ小さめの放物線を描いて地面に落ちた。姉は必死に漕いでたので気づかないまま建物の向こうに見えなくなった。
翌年明け、姉が図工の宿題で「冬休みの思い出・家族で行ったいちご狩り」を描き、何かの賞をもらい、その絵が自宅へ戻されて初めて見たんだけど、私がいなかった。
私が小学校へ入り、まだ慣れない乱立した靴箱の前で戸惑っていると、高学年の男子数人が私の名札を見て「ここだよ」と教えてくれ、「なあ、おまえババロアの妹だよな」と言われた。
いまだに姉が何をしたのかわからないけど、彼らが卒業するまでの1年間、ずっとババロアの妹と呼ばれ続けた。
一年生にはかなりの苦行だった。
その後は中二病発症した姉からの接触はないまま大人になり、姉はある日突然自衛隊に行ってしまった。
入隊後、初の連休であるゴールデンウィークに帰ってきた姉は、朝6時に寝てる私を
「パッパラパラッパッパー!!!」
とラッパの真似をしながら叩き起こし、「匍匐前進教えてあげるね!」と言いながら寝ぼけた私を絨毯の上で第一匍匐から第五匍匐までやらせ、私は両肘下を擦りむいた。
その数年後、姉は
「手榴弾のピンも抜いたし銃も打ったし戦車の廃油掃除もしたし、野営訓練では虫入りのご飯も食べたし習志野の演習場は木が少なくてトイレしづらいからやめる」
と言って唐突にOLに転職した。
昔からオールマイティで都内でもトップクラスの学校に進学した姉を見てきて、すべてが衝撃だった。