>>596
 ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ

普勧坐禅儀
古人に目を向けると、迷いをも悟りをも超え、死をこともなく乗り越えていくような祖師方がおられたが、
それもひとえにこの坐禅の妙力のなせるわざである。
さらにまた、指・竿・針・鎚・払・拳・棒・喝といった古則公案(古人の悟りの由縁)における、祖師方の絶妙な禅的働きや師弟間の見事な合致も、
とうてい思慮分別で理解できるようなものではなく、また神通力の及ぶところのものでもない。
それは色・声・香・味・触・法という六つの塵にとらわれる迷いの境界(きょうがい)を離れた堂々たる境地であって、
分別知識の及ばない天地の法普勧坐禅儀の通りにやれば則にほかならないのである。

悟りとは
分別知識の及ばない境地無我

つまり鬼和尚さんは悟っていません