>>455
>おぬしが本当に阿弥陀如来のいる極楽浄土に行きたいならば・・・
>
>・・・・・・妄想宗がいずれ消えるのは明白なのじゃ。


それは全く矛盾していますね。
「心が世界を作る」 と鬼和尚も常々言っているではありませんか。
ですから、「そう思えばそのような世界(西方極楽浄土)に行ける」 と
考える方が正しいと言うべきでしょう。

そもそも、一般の常識的な空間認識のあり方そのものが幻想なのですから、
その幻想を根拠にして 「西方極楽浄土は妄想である」 と言っても全く説得力
がないことになります。

鬼和尚の言われる 「無認識が大悟徹底」 も、浄土系思想の 「西方極楽浄土」
も一つの仮りの表現に過ぎないもので、同じ次元の話だと考えるべきでしょう。

また、理屈から考えてみても、
地球上のどの地点からでも西の方角に行き続けると、最後にはもと居た場所に
戻って来ます。つまり、西方極楽浄土とは 「ここ」 なのです。
(地球を越えて宇宙空間において西の方向に進み続けても、時空のねじれ
によって元の場所に戻って来ると物理学では教えています。)

浄土真宗の教えが鬼和尚が考えているような子供じみた妄想なら、大拙博士
ほどの知性が 「浄土真宗は大乗仏教の頂点である」 などと言うはずがあり
ませんし、何よりも妙好人の人達が到達した絶対安心の境地は 「生死」 を
超越した世界なので、「悟り」と何ら変わるものではないと言えるでしょう。