>>527
>物理学を研究することは“煩悩”と蔑まれるほどの悪徳なのか?

確かに <煩悩による> というのは言葉が適切ではなかったと思います。
その点は訂正させて頂き、お詫びしたいと思います。
私が意図したのは、煩悩の元である <無明> による知的好奇心 という意味だったのです。
どんなに純粋であっても <無明> から出発している、と言いたかったのです。

<無明> の状態と <無明が晴れた状態> とでは、時間・空間認識が大きく異なるのです。
無明の状態での科学研究は常識的な時間・空間の概念を元にした研究にならざるを得ないので、
厳密な研究(極微の研究)になるとさまざまな矛盾が出て来て行き詰ってしまうのです。
「自我」 と 「自我と対峙する外界」 を分離したものとして見て、外界や現象を 「対象」 として
研究するということは、<無明> の意識がとらえた時間・空間の概念が前提となっている為に、
<無明が晴れた状態> から見る世界とはまったくかけ離れた世界観が現われてしまうということ
を言いたかったのです。ですから、「科学者の態度の話」 ではなく、その 「研究内容についての話」
になる訳なのです。