>>506
>2重スリットの実験 https://www.youtube.com/watch?v=vnJre6NzlOQ

それは仏教的に見れば簡単なことです。
物理学(自然科学)というのは、「(観察する)人間があり、(観察される)外界がある」という
仏教的に言えば <迷いによる認識> が土台になっている世界なのです。
「見ている者と見られている物は同一である」という体験(これは対象化されないので、理論ではなく
体験なのです)から見れば何も不思議なことはないのです。

「この世はバーチャルリアルティである」などと言ってみても、そのように言っている <主体> は
常にその理論の外に存在することになるので、肝心の <主体> については何もわからないのです。
「悟り」を知らない物理学者たちがどのような理論を作り上げても、人間の本質は何も解明できません。
それがどのような理論であっても、それを述べている本人はその対象の外に存在しているからです。
その自分を対象化して考察しようとしてみても、考察を行なう自分が対象の外に残ってしまうのです。

(ですから、天才的学者が人間と宇宙に関してどんなに <合理的な> 理論を作り上げても、みんな私生活
では迷いや怒りや性欲などに振り回された <不合理な> 日常生活を送らざるを得ないのです。)

名古屋大学で量子力学の研究をしていた村上光照という人は、物理学によっては真理に到達出来ないことに
気が付いて禅僧となり、現在は道元禅師の教えを広める活動をされています。
真理を知りたければ、物理学のような煩悩による「知恵」ではなく、仏教の「智慧」を学ぶべきでしょう。