>>470 常に至福にいることもできるがとめることも出来るのじゃ。
 わしは至福さえ脱しているのじゃ。
 苦を抱えて生きる衆生の心を知るために至福からも遠ざかっているのじゃ。

>>471 それぞれ好きなように暮らすじゃろう。
 全て同じという訳は無いのじゃ。
 悟ってもそれまでの暮らしが違うからのう。
 そのまま涅槃に入るものも居れば、お釈迦様のようにとどまるものも居るのじゃ。
 ただあるがままにあるだけなのじゃ。

>>472 肯定も否定も無いのじゃ。
 それが真実なのじゃ。
 個我があるという認識を保つのは慣習なのじゃ。

>>473 それに見合った世界に引かれていくじゃろう。
 昼は暖かいが夜は物凄く寒い処とか。
 動物に生まれるがよい人に飼われるとか。
 心のありように従って世界はいくつもありえるのじゃ。