>>257 差別も人の心の中にあるものじゃ。
 空を行く雲に何の区別も無いように本来は皆同じものなのじゃ。
 人の観念によってあれは雨雲だとか羊雲だとか区別するのじゃ。
 雲に本来名や区別があるわけでもないのじゃ。
 雲に自ずから名があり区別があるとすれば妄想となるのじゃ。

 そのように本来無いものをあるとするのは妄想となるのじゃ。
 差別をする者は妄想によって悩乱している者と言えるのじゃ。
 しかし、それに囚われるならば自らも妄想に囚われていることになるのじゃ。
 妄想に囚われたものを相手に貴重な時間をとられてはいかんのじゃ。
 なにものにも囚われずに進むのじゃ。
 
>>259 そこに生える米や野菜を待っている者のためにやっているのじゃろう。
 人間は食べなければ死ぬ故に誰かが米や野菜を作らなければならんのじゃ。
 安心して食べられる米屋や野菜を作れる者は少ないじゃろう。
 それを待つ人の為に農事に励むのじゃ。

>>261 寂しいのじゃろう。
 かまってほしいのじゃ。