吉田がホイスグレイシーに実質的敗北をしていたこと、また数々の柔道オリンピックメダリストたちの敗北もあり、柔道というものの強さに不信の目を向けられ始めたのもこの頃。
桜庭はそれまで敗戦を重ねていたこともあるがプライドのエースという重圧に負けプライドを去ることになる。
そしてその桜庭と秋山とのK−1ダイナマイトの一戦で秋山が禁止行為を行い無期限出場停止になり、そもそも粗暴だと批判が強かった総合格闘技への社会的不信がピークに達し柔道は追い込まれていった。
つまり礼節を重んじるはずの柔道の代表が総合格闘技に出て殴り合い、更に反則をするなどして更に負けるとはこれ如何に、と。
恐らくそれでも勝ちさえすればまだしも負けてしまうために益々許せなくなったのだろう。
そこで柔道がとった行動が我々は脅されていたのです、と闇勢力のせいにして逃げることだったのだ。
プライドは煽りを喰らって疑われ消滅し、何故かそれ以降柔道の代表選手は総合格闘技へと足を踏み入れなくなったのである。
そしてK−1も疑われ、興行が回らなくなりFEGは破産することになる。
こうして日本の総合格闘技の発展の芽は完全に摘み取られたのである。
そしてその崩壊のターニングポイントは間違いなく柔道の特に日本五輪代表選手の出現にある。
それまでもナツラやキムミンスや大山のような選手がいた。しかし日本代表が負けた途端、負けを重ねた結果と併せて、急激に格闘技団体自体への世間の風当たりがきつくなったのだ。
柔道が勝手に日本を代表し、柔道が強いんだとうそぶき、勝てないものを無理やり勝たせようとしたためにつじつまが合わなくなり、団体自体を噓のものとしてご破算にしないといけなくなったのである。