大村八郎 『帝都大学評判記』 三友堂書店、昭和9年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465891

三田風景

前にも述べたように、慶應義塾大学というと、定めし立派な校舎を持っていると思うと大間違いだ。
百万円の安田大講堂を持っている帝大には勿論、早大にも遥かに及ばない。凡そ貧弱でボロボロの点では、
震災後のバラックにも等しいものであろう。木造で、机や椅子はそこいらの私立中学校にも劣るし、
黒板などは殆ど問題にならぬほどだ。それに予科と本科とで教室が違うわけではなし、ゴチャゴチャに
時間毎に移転させられる。冬などは硝子が壊れていてもそのまゝだし、ストーヴの火は朝の九時の時間が
終わる頃にはもうないと云ったような始末、勉強するにはその部屋がどんなであってもいゝようなものの、
高い月謝を取っている手前もう少し何とかしてもらいたいものである。それに、学校こそ貧乏でも、
背後には大きな財閥が控えているのだから、何とか考えようもありそうなものだといいたくなる。
だから、近所の白十字や明菓のストーヴを囲んで、学校の方をサボっているのも、
学生の方から云えば十分の理由があるのだ。

しかし、如何に学校だとて、外観だけはつくろわないと学生が集まらないらしい。だからあの正門を
登り切ったところはちょっと立派に見える。右手に図書館があり、正面に三階建ての煉瓦づくりがある。
こうして表面堂々たる威容を整えた最高学府が三田の高台の上から、あたかも昔の王城から
城下の町を見下すように、三田の町を眼下に見下している。

三田の町には、喫茶店やレストランにあまり大したものがない。塾生は三田に遊ばないで銀座に遊ぶからだ。
学校をサボって時間をつぶしたり、ほんのちょっとした菓子を食べたり、昼の食事ぐらいは近所でとる。
この点早稲田などゝは大いに違う。早稲田の町は大部分が早稲田の学生を相手に生活しているのだが、
慶應の学生は三田ではあまり消費しない。だから早慶野球戦の時だって、近所の飲食店やその他の店の
親父が、早稲田界隈のそれのようにお祭り騒ぎをしない。

一番人気のある喫茶店は白十字であろう。凡そ頭の悪いボーイばかりいる店だが、一番古いのと広いのとで、
いつも人が一ぱいだ。明菓もサービスがよいのでよくはやる。昼の食事はアサヒ、加藤、食道楽、大和等である。
アサヒの肥ったおかみさんは、震災前有楽座の三階に喫茶店を出していた人だということである。

三時頃になると、三田は火が消えたようになる。みんな銀座に進出するのだ。そして、文化学院のお嬢さんを
捉えて音楽会の切符を売りつけたり、デパートを練り歩いたり、ダンスホールへしけ込んだりする。彼等は
女にはよくもてる。カフェーへ行ってもチヤホヤされる。それというのが、彼等は金を持っているし、それに
妙に図々しいところがあるからだ。尤もこれが福澤諭吉の実学主義の現れかも知れない。