30歳以上のおっさんが高校野球を語る33
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秋季県大会で青森山田に勝った八戸学院光星の洗平は、3年連続県決勝敗退の洗平の息子なんだな
悲運の好投手・洗平の名前を目にするのは感慨深いな 校名も光星学院に戻して、ユニフォームも初出場時の復刻ユニで洗平Jrに甲子園のマウンドに立ってほしい 3年連続で決勝敗退は福盛の都城もそうだったけど、全部エースとして投げてたのは洗平くらいじゃないかな
最近だと霞ヶ浦の上野が1年秋、2年秋、3年夏とあと1勝で甲子園を逃してるのが一番惜しいかな? 選手個人でなくチームとして3年連続地区大会決勝敗退なら
大阪大会80〜82年の近大附、
東東京大会02〜04年のニ松学舎大附がありますね。 >>667
昭和50年代の富山商とか昭和40年代の学法石川
平成の日大東北あたりが思い浮かぶ。 >>664
千葉の船橋から親父の母校へわざわざ進学するのが泣かせるわ 最近なら2015〜17年夏兵庫大会で明石商業が準優勝です 明石商はその間センバツに出てるからね、まだマシかな
東海大菅生も14〜16と決勝敗退、しかも全部惜しい試合だった
ただここも2015センバツに出場しているね 高知も明徳相手に三年続けて決勝で負けてなかったか。しかも全部一点差。
高知は81年を最後に決勝でずっと勝てなかったな。2005年も明徳に負けて明徳の不祥事で代打出場だった。
決勝での連敗記録じゃないのかな。 高知はたしか5年連続で決勝1点差負けじゃなかったっけ
しかも相手は全部明徳 天理対郡山の奈良大会決勝は天理の全勝?
郡山相手に県大会決勝では何連勝したんだろ? >>674
71年、川畑のときに郡山が1-0で勝ったはず。この年郡山は全国ベスト4。 話の流れが違うけど1984〜2003年の20年連続福井大会の
決勝進出の福井商、なんかあまり話題にならない記録だよな >>676
10年くらい前かな?
高校野球板独立前は結構話題に出てきた。 そういや初期は野球板の中に高校野球総合スレがあるだけだったな
それから野球総合板→高校野球板 >>676
04年に準決勝で福井商を破った若狭は決勝で工大福井に敗退 甲子園出場経験なしで予選決勝最多敗退は旭川東か
北北海道なら決勝敗退3回すべてサヨナラ負けの稚内大谷もいる 北陸高校のユニが昭和50年代の阪急のユニみたいなのに変更しててビックリ 豊田大谷も最近は阪急柄
能代は昔オリックス風ユニだったね OBの應武が監督に就任した崇徳のユニはソフトバンクホークス >>693
能代は高松直志を擁しての出場時はジャイアンツデザインのユニフォームで。 昔は巨人戦しかテレビ中継がなかったから
少年野球から草野球までオレンジの縁取りのユニが人気だった
話が変わるけど、今の昇華プリントのユニって機能性はいいか知らんけど
昔の刺繍ユニの縁取りの鮮やかさには負けるな >>701
最後の甲子園は93年春で甲子園から遠ざかって早27年。
その前の出場は選抜優勝した76年の春夏連続出場で。
応武監督が現役選手だった時でした。 >>704
ショートゴロで二塁ランナー田中が飛び出して三塁に送球したが、送球が
田中の肩に当たって悪送球になり、決勝の1点が入った試合だったね。 田中富の速球をライナーでぶち込んだ、時広の同点ホームランが見事だったな さすがに平安は古過ぎてあれだけど
俺にとって宗教系の学校が優勝するのを見るのは宗徳が初めてだった
夏決勝も桜美林とPLの宗教系の対決になるとはな >>702
93年春は試合中に雪が降ったね
竹村、斉藤の二枚看板だった 夏はなあ、黒田が発熱でドクターストップ、兼光が急造投手というやりくり算段でやっとの思いで勝ち、黒田も熱がおさまったと思ったら絶好調の酒井とあたったから。
しかもボテボテの内野安打で決勝点、夏はとにかく運にも見放されて春ほど戦力を駆使できなかった。
そのあと黒田は波乱万丈の野球生活になっていった。 昔、広島電大という高校があったよな
ガキの時分は変な校名に興味をもつんだ 笑 >>712
そのまた昔、三重県に、甲子園まであと一歩まで勝ち進んだ
ジ・オリオンという学校があってな 山形電波工業(なんかすごいこと勉強してそう)
鬼怒商業(すごい延長戦してるし、校名からして怖そう) 山形電波は76年夏、日大山形に決勝で1-2で惜敗、あと一歩で甲子園を逃した。
このときのユニはピンク色だったと聞く。甲子園で見てみたかった。 93年の大宮東と崇徳戦、現地まで観に行ったが
他にも秋田経法大の小野や
横浜、上宮、常総、宇和島東と1日でここまで豪華な学校揃った日も中々ない
第四試合で体力尽きて途中で帰ったけど >>717
俺もその日、外野で観戦してた
第一試合から小野が四球連発で試合時間が長くなり
二試合目くらいから雪が降ったりして寒い日だったんだよな 常総と宇和島東が1回戦最大の好カードと言われていたが、大差がついて試合としてはつまらなかったな
1つ前の上宮-横浜のほうが面白かった
そういう意味では2016年夏の横浜-履正社があった日と似ているなぁ >>719
横浜の選手が満塁の3ボール2ストライクから、完全なボール球に飛びついてスクイズしにいって失敗したシーンが忘れられん。
あの年の上宮の優勝は横浜のこのとんでもないボーンベッドのおかげだよね。
実力では完全に横浜が上だったが拙攻の山で
負けてしまった。
あの頃の横浜はなぜか甲子園では力が全く発揮できなかったね。 ベンチに帰って来た失敗した選手に両手で2−3やろ!のカウントの指見せて
かなり切れてたなあの場面
帰宅してからNHKのニュースで見た 同じ場面で81年夏の徳島商戦では主審がボールと判定してくれたんだがな。 >>721
ありゃ選手がアホやと思うで。
やっぱりアホ学校やなと。 >>720
甲子園で、
「満塁・フルカウント・スクイズ」を決めた高校ってあるの? >>721
あの試合NHKの横浜側のゲストが確か小倉さんだったと思うが、
「何考えてるんですかね〜」とブチ切れてたw
多分後でシめられたんだろうなw 中国大会は惜しいところで盈進が負けてる
原の東海大相模との一戦を思い出す
あの試合は同じく一年生左腕村中が先発したから感慨深い
関東大会はその村中監督率いる甲府が母校相模に勝ってるな >>712
広島電機大は広島六大学野球(6校の固定メンバー)の加盟校
現在は広島国際学院大に校名変更 横浜って、東海大相模戦で振り逃げ3ラン食らったり、ホームベース踏み忘れたり(あれは誤審だという説もあるが)、名門校のわりには考えられないボーンベッドやらかすよな >>728
ある程度、頭が良くないとダメって事かな? 学力と野球脳は違うと思うけどね
同じ横浜でも松坂世代のチームは社会人チームかと思うほど全員が野球をよく知っていた
当時の横浜の場合は小倉部長の教えを理解出来るかどうか
ある意味では選手はロボットみたいに指示通りに動くから自分の頭で考えられない選手が多かったのは事実だろうな
松坂世代はそこが違い選手が自立していたからあそこまで勝てた 西日本のチームのほうが野球をよく知っている印象はあるな >>731
確かに。
試合巧者と言われてるのは西のチームが。
広島商、報徳、箕島などなど。
箕島の場合は試合巧者というよりも球史に残る劇的な試合を演じててだけど。 >>720
89年夏 鈴木尚らタレント揃いで優勝候補だったが、初戦の星稜にいいところなく敗北
92年春 絶対有利の前評判だったが、初出場新野の粘りに大逆転で初戦負け
93年春 関東覇者で有利の前評判だったが、拙攻の山で勝負を決められず上宮に初戦サヨナラ負け
94年春 ドラ1始めプロ入りした選手が5人のスター軍団だが大府に大勝後、エース矢野が不調で智辯和歌山にボコられる
94年夏 優勝候補筆頭格だったが、那覇商の軟投投手の術中にハマりまさかの初戦負け
96年春 前評判有利だったが、好投手椎葉に打線を封じられ初戦負け
96年夏 主戦で北嵯峨に勝つも、次の福井商戦で9回に大量失点し逆転負け 意外と池田の全盛期に横浜は甲子園に出てなく
沈黙の状態で忘れられた存在だった
新野に負けた時くらいは渡辺さん部長やってた >>733
平成5年春のチームは前年秋季関東地区大会準優勝違うたかな?
優勝チームは常総やったような・・・ 横浜は98年松坂世代で春夏連覇した後はそれまでの低迷ぶりが嘘のように甲子園で勝ち出した
2000年代は出場8回で21勝7敗
2000夏 ベスト8
2001夏 ベスト4
2003春 準優勝
2004夏 ベスト8
2006春 優勝
2008夏 ベスト4 90年代と00年代の違いは前者は地元神奈川出身者中心のチームだったのに対して松坂世代以降は全国から選手が集まるようになったことか
畠山(栃木)、成瀬(栃木)、涌井(千葉)、川角(愛知)、土屋(静岡)、筒香(和歌山)
甲子園上位進出した代はエースや主力打者が県外出身者のことが多い >>737
松坂大輔とチームメイトの後藤武敏は浜松市からの野球留学生やし。 松坂は東京だからね 普通に通学圏内だから野球留学とは言い難い >>738
浜松のボーイズとは80年代からルートがあった
鈴木尚広も浜松からの野球留学 浜松シニアね 監督が横浜高出身だから
鈴木尚典や後藤武敏ら毎年No. 1選手を横浜へ送り込むルートがあったね 今年秋の東北大会では福島商と学石で最弱争いになった件。
福島商は2年前に秋の東北大会に出た世代とは投手力が雲泥の差。そもそも県の地区予選から点とられすぎ。2年前のエースの時は春以降急成長して夏の甲子園出場のチャンスもあった。
学石は往時から福島商に相性が悪い。まさかあの投手力の福島商に県大会で負けたから東北大会は危ないと思っていたらorz >>741
愛甲世代のレフト足立も浜松出身で。
40年以上前から横浜への進学ルートができていて。 愛甲時代まではほんとワルの集まりだった
当時の横浜は荒木が「恐かった」とかふりかえってたくらいやから
松阪くらいの時代以降は野球を知り尽くしたエリート集団のスマート野球
いっぺんにイメージが変わった 昔の横浜は力まかせの野球という感じ
松坂以降は早実のような洗練された野球になった 横浜は徳島県勢と結構対戦しているのに池田とは対戦してない
夏なんか昭和53、55、56と出場3大会連続徳島県勢と対戦 荒木の早実時代は5回出場した内
京都勢と4回対戦した >>751
そして本番では金沢に初回の猛攻で7-2で勝つし >>752
金沢は大黒柱のエースが投げられず控え投手が先発
その投手が緊張でガチガチになって大量失点 >>751
山本投手が京都府大会で確変
準々決勝から3試合連続完封、決勝では翌年甲子園で準優勝する井口に投げ勝って甲子園出場
ただ、打線は貧打だった
東宇治は、この4年前の76年の世代のほうが関西六大学で活躍した辻投手を中心に強いチームだった >>754
辻のときはやはり京都商業と決勝で対戦、延長の末1-2で敗退、惜しくも甲子園を逃した。
辻は同志社だっけ?一年から活躍していたな。 崇徳、大宮東の話題が盛り上がっているね。
1回戦屈指の好カードだったけど、大宮東のほうが闘いにアグレッシブさがあったね。
それが勝敗の結果を左右した。
大宮東が決勝で負けた上宮の主将・黒川さんのご子息がプロ入りするんだから、時間の流れは速いよね。 Y校の三浦は、荒木・小沢がいた早実、畠山・水野・江上がいた池田、KKがいたPLのすべてと甲子園で対戦した唯一の投手らしいね。 >>757
平尾さん、ショックだ
高校時代も小柄だけどパンチ力ある打者でオーラがあったのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています