レースは次第に大昭和製紙の大久保初男が古田とロドウィックを引き離し始めた。
東北高校から大東文化大学に進んだ大久保初男は、箱根駅伝の山登りで大ブレイクを
果たす。5区で4年連続で区間賞を獲得。青年監督・青葉昌幸に率いられた新興勢力の
大東大は、たちまち上位校に成長し、遂には昭和50年・51年と2年連続で箱根駅伝に
連覇を果たす。5区の大久保初男が文字通り他校を圧倒する働きを見せたことが大きく
モノを言ったのである。「駅伝男・大久保」はさらに東日本縦断駅伝(通称:青東駅伝)
でも超人的な活躍を見せる。最下位でタスキを受けて全員抜きで首位でタスキを渡した
のである。大久保初男の駅伝は「先手必勝」タスキを掛けるや序盤から果敢に攻め込む
スタイルでエンジン全開。そのまま最後まで走り切ってしまったいた。
しかし、マラソンとなると勝手が違う。序盤からガンガン行くスタイルではマラソンでは通用
しにくい。大集団は大久保初男を誰も追おうとはしなかった。それは「大久保はじきに
落ちる」とい冷徹な計算を働かせていたからに間違いない。
瀬古利彦も宗兄弟も大集団の中で身を潜めていた。

朴虎吉氏は北朝鮮の小旗を振って懸命に応援していた。前日にキムチと豚足を食べ過ぎて
腹の具合が悪く、午前中に3回「うんこ」をしていたが、レースが始まる頃には腹具合は
良くなっていた。喉が渇く。コーラを口に運ぶ。「スカっとさわやかコカコーラ」をさわやかで
ない男が飲んでいた。
目の前を北朝鮮の選手が大集団に混じって通過して行く。朴虎吉氏は大声で自国の選手
を応援した。

10km・15kmと大久保初男が独走状態で首位を守る。まだ後続は追い付いて来ない。
静かなる戦いが続いていた。この時、早稲田大学4年の前年度優勝者の瀬古利彦は不安
と戦っていた。走り始めた段階でどうも身体が軽すぎるのである。それは調子のピークが
早く来過ぎてしまっていたことを意味していた。それでも集団の中で自重した。走っている
うちに、汗と共にだんだんと身体が動いてくるのを感じていた。
同様にモスクワ五輪代表有力候補の宗茂も不安を抱えていた。本番4日前の練習で全く
思うように走れず、やむなく、練習を途中で打ち切った。「オレはモスクワに行ける筈」
と、それでも希望を捨てなかった。双子の弟・宗猛は対照的にレース直前では絶好調。
手応えを感じたまま、本番を迎えていた。

20kmも大久保初男が先頭。しかし最大で45秒差まで離していた差が縮まってきていた。
折り返し点でも大久保首位は変わらず。しかし大量に汗をかいていて既に表情は苦し気
なものに変わっていた。遠くない首位陥落を予感させるものだった。
34秒差で後続の大集団が通過。その中には北朝鮮期待のチェ・チャンソブ(24歳)も
含まれていた。