桐蔭学園が初出場で初優勝した71年の53回選手権は選抜の4強チームが全て不出場で、
混戦が予想された。その下馬評は、正確な記憶ではないが、(選抜覇者の日大三を破った)
好投手保坂を擁する日大一が本命、それに対抗するのが前年準優勝のPLや選抜八強で
投手力の良い東邦(初戦で敗れたが7年後の座談会で水谷が大会No.1との評価)、深谷商
(竹内がドラ1)あたりだっと思う。しかし、驚いたのは聞いた事もない桐蔭学園も朝日は
優勝候補の一角に入れていたことである。(むしろ、深谷商の評価はもっと低かったかも)。
東邦―桐蔭学園はいきなり優勝候補として当たったが、投手戦で0-0のまま終盤まで来て、
(多分)8回に桐蔭が2点を入れて勝った。しかしその時、はっきりとは覚えていないが、
東邦内野手がアウトと勘違いしているスキを突いた桐蔭が先取点を取り、勝負を決めた。
好投手水谷には可哀想な幕切れであった。

桐蔭学園の大塚は準決勝で2点を失っただけで優勝。進学せずプロからも誘いがなかったが
就職先の三協精機でも第1回日本選手権の優勝投手となる等活躍。プロでも活躍できたと思う。
良く知られているが、大塚は引退後、ライト工業の一員として軟式野球を続け、延長45回
8時間19分の激闘の一翼を担った。
https://www.raito.co.jp/company/kiseki/index.html
桐蔭のナインには小島や土屋等六大学で活躍し、日米大学野球の全日本に選ばれ主力で
活躍した選手も少なからず居たがプロ入りした選手はいなかったと思う。