昭和54年春の大分商の岡崎がそうだったと思う。夏は一学年下の松本の成長もあって岡崎は背番号6のショート登録だった。
ただ、優勝となると昭和40、50年代ではいないのではないか。55年の横浜の愛甲は三番だったよな(四番は片平)。PLの西田、報徳の金村、池田の畠山は主将じゃなかったし。
準優勝だと46年夏の磐城の田村がいる。