41さんへ こんな書き込みに真実を求めるのはしょうしょう酷でしょうが薄っぺらいかす
にいわれっぱなしではしゃくにさわるので
言わせてください。
[世にうたわれし浩然の、大気をここに集めた
る。秀麗高き岩手山 清流長き北上や
山河自然の化をうけて 戯れを知らぬ白亜城]
この校歌は明治41年に作られ作詞は当時盛岡中学5年の伊藤九一氏作曲は4年の佐藤貞次郎氏
だった。中学の校歌を全て在校生のみでつくり
専門家に依頼しなかったのは全国でも稀有だが
、注目すべきは曲の選定で
日本海軍の行進曲であった 軍艦マ
ーチのメロディを選んだのである。この校歌は
代々受け継がれてきたが戦前の学制改革で
盛岡中学から盛岡一高にきりかわるとき廃止問題がふじょうした。
戦後GHQは軍国主義的なもの一切を日本社会から排除しようとしていた。当然、盛岡中学の
校歌が真っ先に槍玉にあがったのは承知の事実。だがこの動きに在校生、OB.、市民権が
断固抵抗した。
盛岡中学は近代日本をリードした数多くの人材
を輩出している。板垣征四郎、米内光政、石川啄木、宮沢賢治、金田一京介など枚挙にいとまがない。
この先人達の思いを集約していたのが校歌で
あり白亜の思いである。この校歌の廃止は
明治以降の近代日本の歩んだ歴史を否定することになる。学校関係者、OB、市民が校歌の
曲が軍艦マーチのメロディで何が悪い、と
いう姿勢を断固貫き、一歩もひかずという
構えをしめしたためGHQはそれ以上強要できず
そのまま存続し新政盛岡一校に受け継がれる
ことになる。
戦前の日本を全否定しようとする風潮のなかで反骨の姿勢を貫き通した精神こそが代々受け継がれる[白亜の精神]である。
夏の甲子園で盛岡一高が勝つと軍艦マーチの
校歌がテレビを通じて全国に流れ、その迫力に多くの国民が度肝をぬかれたとおもう。
もう久しく甲子園で校歌を聞いてないが、、、
長々と申し訳ない、もうこの話題はしません。
俺は盛岡一高のOBで石川啄木先輩といとこです。