>>782
あの頃までは珍しい事では無かったからね。
昭和30年代には早大安藤の早慶戦六連戦(優勝決定戦での2引分も含む)中4連投を含む5試合完投なんてのもあった。

さすがに翌年は腰痛で殆ど活躍出来ず、卒業後東映フライヤーズ入りするも1年目こそ13勝し日本シリーズでも2勝もあげる
も事実上その年限りの活躍で終わった。
アンダースロー投手だったが、既にプロ入り時点で「同型投手の南海の杉浦、大洋の秋山に比べて半分のスピード」と酷評
されたりとスピードボールが全く投げられなくなっていた様だ。