>>479
あの年の東邦はたしかに打は力不足だった。
「昨年のように振り切れる打者がいない」と阪口監督も話していた。
なにしろ前年は一年生の坂本を除いてレギュラーは全員三年生だったから。
しかも坂本は甲子園が終わった後も騒がれて結果が出ていなかったから。
それが6月下旬の岐阜の中京商との練習試合で1安打完投してから急に調子を取り戻していた。
上り調子で予選を迎えたので、ひょっとしたら、という感じがした。
あの年の愛知は中京の力がずば抜けていたので、仮に準決勝で中京が負けていたら、最大の強敵がいなくなったので東邦は元気百杯になって岡崎工業に勝ったかもしれない。
しかも中京は昔からの宿命のライバルであるのに対して、岡崎工業は当時はたしかに甲子園に出ていた強豪であるが中京と比較すれば相手に与えるインパクトが違う。
このときのエースは大見だった?
甲子園に出た74年は岩崎、76年は山内がエースだった。山内は夏の予選で完全試合を達成した記憶がある。