>>283
いま見るとそんなに遅くはない ように見えるのだが。
昭和54年夏の久慈高の投手はポワ〜ンみたいな球だったような気が。

翌55年夏の大分商・松本投手は肘の故障でも登板し
キャッチボールみたいなスローボール投球で 痛々しかった。