出場辞退といえばこれが一番印象に残ってるなー。
かわいそう過ぎる。野球部には罪がないのに・・・・。


『開会式当日の3月28日の朝。門司工(福岡)ナインに無情の「出場辞退」が告げられたのだ。

その4日前、福岡県北九州市内で住居侵入、暴行未遂事件が勃発。容疑者として門司工の生徒2人が逮捕された。
野球部員とは無関係の一般生徒が関わった事件ではあったが、大会関係者からの同情論はなかった、という。

 以前に紹介した、甲子園に向かう青函連絡船の中で出場辞退を知らされた北海の「涙のUターン事件」と同様、
この時も日本高野連の会長は佐伯達夫。不祥事には厳しい態度で臨んだ佐伯は、門司工の「出場辞退」を即決した。
 宿舎で学校長から説明を受けた門司工の選手たちは、誰もがすすり泣きを漏らしたという。
ちなみに、門司工の代わりに急遽、出場となったのは佐世保工(長崎)。ろくな練習ができないまま慌てて甲子園入りし、
門司工が予定していた大会3日目の初戦に臨み、静岡商に4−7で敗れている。 門司工の前身は豊国中といい、1912(明治45)年に開校。大正時代に2度、甲子園大会に出場した古豪だ。
1946(昭和21)年に門司工と改名。現在は豊国学園と名乗っている。
この時の門司工は、豊国中時代以来、実に55年ぶりの甲子園出場に湧いていたが…。
この機会を一般生徒の不祥事で逃し、以降も甲子園の大舞台に縁がない。 』