死刑執行を非人に行わせていたのは事実だが、これは幕末の一時期であって、基本的には処刑は与力同心の職務だったと言われている。
暗い牢屋で牢番が囚人をいじめるのは、後世に創られたイメージによるところが大きい。物語としてもその方が盛り上がるからな。

明治維新以降、監獄官吏は士族の子弟が多く担った。
明治29年発行の「大日本監獄協会雑誌98号」には同年6月に発生した明治三陸津波によって犠牲となった宮城集治監雄勝出役所職員八名の氏名が載っていて、「族籍」が示されている。

族籍というのは、明治5年に作られた壬申戸籍に記載された各人の身分を示すもので、「華族」「士族」「平民」等に分けられた。

犠牲になった職員八名のうち、一人が「石川県平民」、二人が「石川県士族」、五人が「宮城県士族」になっている。

士族は明治維新で無職になったので、様々な事業を興したり、新政府の役人になったが、江戸時代まで非人が請け負っていた牢番業務に、全人口の3.8%しかいなかった士族の子弟が群がったというのは考えにくいと思うな。