短大商業デザイン科で学びながら、最初の担当にはむしろ邪険にされ(当時の漫画雑誌は出版社のマイナー部門で良くわかっていない編集も多かった)、
穴埋めの原稿ばかり頼まれた便利屋新人時代を経て、徐々にページ数を増やし、原作付きだがついには連載至るまでで一巻。

最初の部分で講談社(作中は講文社)漫画賞受賞シーンがあって、
S(ビジュアルは里中)先生は最後まで受賞者に付き合う主義で、W(ビジュアルは大和)先生は自分の受賞の際も二次会は身内だけで二次会には行かない主義と描写されていた。

S先生も他の少女漫画家も当時最初は家出同然で東京に出てきて、お金がないので講談社別館で暮らしたり、1部屋を2人でシェアしたりしていた。
腱鞘炎や皮膚炎になったら、医師に仕事を辞めろと言われたり漫画家という職業に社会全体に理解がなかった。

「三本柱になる」と言われたのは他誌で書いていたUK先生が、初めての原作付き百ページの感想を電話で言ってきた時。
「原作通り書いてないでしょう。わかるわ」というセリフもあり、三本柱発言も「なんでそんなことわかるの?」と戸惑う描写になっている。

Z先生は大御所でプロ同士は謝礼は払わない。今度ベタでも塗りに行くわ、と言いつつ、手伝わされてばかり。
描く用具を持参しないと売りつけられるとも。

名前にZが入って大御所だとまさか水野先生?