しかし根尾は、医師でもなく、スキー選手でもなく、プロ野球選手に憧れた。
ただ、万能の根尾でも、全国から有望選手が集まる大阪桐蔭でレギュラーを獲ることはたやすいことではなかった。大阪桐蔭に入学後、寮生活を送る根尾から、岐阜に住む父・浩さんのもとに手紙が届いた。
「勉強できてなくてごめんなさい。成績が下がるけどごめんなさい。でもその分、野球をがんばります」
周囲の先輩や同級生のレベルが想像以上に高く、みな練習も熱心。その中で早くレギュラーをつかむためには、勉強するつもりでいた時間も自主練習にあてなければ、競争に勝っていけない。野球1本でいくという覚悟だと、浩さんは受け止めた。
「私はもう応援するだけなので。体に気をつけてやりなさいということしか言っていません」
浩さんは、昂にも医者になってほしいという思いを、幼い頃は持っていたという。「でも、もう野球にべったりでしたからね」と苦笑する。
根尾は寮の部屋でも時間さえあればトレーニングしていた。藤原はこう証言する。
「夜中にバランスボールでストレッチをしたり、朝起きたら腹筋や腕立て伏せをしていたり。
同部屋だった時は自分が二段ベッドの下だったので、結構うるさかったです(笑)」
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