★DIVAs☆ゲイが語る洋楽・世界の歌姫たち☆146★
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元祖ゲイ板「洋楽女性アーティスト総合スレ」
ゲイが語る洋楽: POP DANCE R&B ROCK HOUSE etc.
皆さんの大好きな世界中(日本以外の国々)のDIVA達について語り合いましょう。
洋楽男性歌手も可。まったり進行推奨です。
J-POP、K-POP、映画女優の話は基本的にスレ違いです。専用スレでどうぞ。無かったら勃ててね。
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★DIVAs☆ゲイが語る洋楽・世界の歌姫たち☆145★
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1509680471/l50 お待たせ!!!!!!!!!
7月の終わりに、永きにわたる沈黙のベエルをとうとう破り去り、脱ぎ捨てて!!!
あの、天下のBillboard誌に!!!ウィラ様下すったそのお言葉を、神託を!!!
日本語に訳して、おいたわよォ!!!このスレの、怠惰なるウィラ様信徒が誰もそれを、しようとせず、
ただ貪欲なる豚のように口を開けて、待っているだけだった、ものだから私が、やったのよ!!!なんと情けない!!!
原文は、こちらよ!!!
http://www.billboard.com/articles/columns/pop/7880907/willa-ford-i-wanna-be-bad-interview ウィラ、音楽業界から退いた理由を語る―カムバックの可能性も示唆
ウィラが挑発的にクラブへ乗り込むPV、それともWhat A Girl Wantsでアマンダ・バインズがランウェイを闊歩するシーン、
"I Wanna Be Bad"でどちらを思い浮かべるだろうか。いずれにせよ、ブリトニー、アギレラ、マンディ・ムーアに
ジェシカ・シンプソンとならんで00年代初頭に現れたウィラが、大きなインパクトを与えたことは間違いない。
トップ40ヒットを引っ提げて(IWBBはビルボード・ホット100で22位まで上昇した)、ウィラは時代の転換期にシーンへ躍り出たのだ。
「気づいた人は多くなかったけれど、私の2ndシングルは2001年9月11日にリリースされたんです」ウィラは言う。
「あの日、世界は凍り付いた。当たり前だけど、世界の動きは止まってしまった。あの日に起きたあらゆることは、なかったことに
された。だから私の2ndシングルはヒットしなかったんです」。
ウィラのデビューアルバムWilla Was Hereがリリースされたのは911の前、2001年の夏だった。しかし、2ndアルバムが日の目を
見ることはなかった。それはシングルがコケたからだけではない。レコード会社の再編も、ウィラを忘却の淵へと追いやった。
そして彼女は悟った、音楽が彼女のやりたいことすべてではなかったと。「私が本当にしたいことが出来ない、当時そう感じたの。
だから一線から退いたんです」36歳のシンガーは言う。「馬鹿みたいに聞こえるけど、未曽有の災難だった。だから逃げた。一度
投げ出したことを再びやるのって本当に難しいんですよ」。その後数年間女優として活動しながら、ウィラはフルタイムの
インテリア・デザイナーの職に就いた。「私はクリエイティブ。なにかをクリエイトしてないと死んじゃうの」。そして、歌手として
リリースがないまま20年目を迎えようとしている現在、音楽活動の再開の芽も出てきたようである。最低でもツアーは行いたいようだ。
「ゲイクラブ周りをしたい。すごく力を与えてくれるし、毎晩楽しいだろうから」、ウィラはこうも付け加えた。「それがなによりも
やりたいことです」。 数年ぶりとなるこのインタビューで、ウィラは音楽業界を離れた理由や、他のポップ・クイーンたちと自分の運命をわけたものはなにか、
そして彼女のカムバックがどのようなものになるかを語ってくれた。
―音楽業界から遠ざかっていたみたいだけど。
「そのことは、本当に毎日聞かれるの。あの時はとんでもない災難に巻き込まれて。気づいた人は多くなかったけど、私の2ndシングルが
リリースされたのって、あの2001年9月11日だったんです。その日に起きたことはすべて、凍り付いたようになってしまって。
世界の動きが止まった。当然だけれど。あの日にあったことは全部、なかったことにされて。だから2ndシングルもヒットしなかった。
馬鹿みたいに聞こえるかもしれないけど、ラジオのオンエア予定も全部流れちゃったし。ただもう次のアルバムを制作していたところ
だったので、大した問題とも思ってなかったんです。でも今度は私たちのいたレコード会社がよそに買収されて、当時の社長も
いなくなってしまって。孤立無援になっちゃったんですね。ちょうど姉妹の出産も重なって、私はポップマシーンという洗濯機の中に
突っ込まれて、コントロールが効かなくなっちゃったような気になったの。自分自身を見つめなおす時間がほしかった。私は本当は
なにがしたいんだろうって考えたくて。私はオペラシンガーで、音楽については持論がある―本物の、真のミュージシャンなんです。
自分の仕事が大好きだった―何曲か作ったんだけど、そこに誠実なものがなかった。私が求めていた、確固たる力ってものがそこには
なかった。そのとき私が本当にしたかったことが出来ない、そう感じたの。馬鹿みたいに聞こえるけど、未曽有の災難だった。だから逃げた。
一度投げ出したことを再びやるのって本当に難しいんですよ」
―でも、未だに貴方には強力なファンがついていますね!
「知ってる!とても素晴らしいことよね。 そ の 大 多 数 が ゲ イ の 人 た ち な ん で す
―私は一生彼らについていくわ。何人もの人たちにこういわれた。『あのね、貴方のPVを見て自分がゲイだって気づいたんですよ。あなたとヤりたいと思ったんじゃない。
あなたになりたいと思ったんです』って。カムバックを考えたとき、私のファンなのはどんな人たちか、私を優しく迎えてくれるのは誰なのかはわかっていた。
カイリー・ミノーグはうまくカムバックを果たしたでしょう。『ロコモーション』以来20年も消えていたけど―今の私と同じくらいの期間ですね―
素敵なダンス・ポップで帰ってきた。アメリカでそれができたっていうのは、私にしてみれば画期的なこと。私も本当に音楽が恋しい。私が最初に情熱を捧げたもの、
なによりもまず愛したもの」 ―みんな、心からあなたのカムバックを祝福してくれるはずですよ。
「それが言うほど簡単じゃないですんよ。私はいま家庭を持ってて、旦那の協力が必要になるし、しかも子どもだっている。
でも、考えてます。そして時が来たら、自分に相応しいプロデューサーに会いに行くわ。レコード会社の協力なしに、
私だけの力でアルバムを作りたいの。20年前は、自分ひとりの力でアルバムを作ることなんてできなかった―経済的な理由でね。
それが今では簡単に、自分の思い通りの形でできる。私が一番誇りに思うのは、本当に自分の思うがままに物事が進められること。
私がいらいらするのは、毎日輝きたいと思ってるくせに、自分自身を変えられない人。未だに、私が20年前にやったのとおんなじことを
やってる人たちがいるのよ。私はみんなを失望させたくないし、いまそういうことをやるのも確かに刺激的で楽しいんだけど、私はもう36だし、
やるとしたらもっと違ったことをやるでしょうね」
―どうしてあなたは こ ん な に LGBT の ア イ コ ン に な れ た んだと思う?
「理由の一つは、イメージのお陰よね。私たちがお互い仲良しだって思ってる人は本当に少ないみたいだけど、私は実際皆が
大好きなんですよ。ブリトニーは、まさに最初のポップ・ガール。だからだれも口を挟めないわよね。そう、ブリトニーはポップ・アイコンですよ。
それからアギレラ、ジェシカ、マンディが出てきた。みんな清純派のイメージでデビューした。そこへ21歳の私が『私はそんなんじゃない』って
歌を出したんです。私と同じレコード会社にいたのがKid Rockや、あとはJason Flom、彼のビジネスは素晴らしかった。彼が私のレコード会社の
取締役だったんですよ。彼は、私が21歳でブリッコなんかしたくないって言ったら分かってくれた。私がシーンに殴り込みをかけて、自分に
素直になることを許してくれたの。思うんだけど、そんな私を見てLGBTの人たちは私の『本当の自分を知りたい』って信念を感じてくれたんだと思う。
それと、当時は生意気で青臭く聞こえたんだと認めるけど、『ワルイ娘になりたい』って思いもね。あのときはそれが許されたんです、もう殻に
閉じこもってる必要はないんだよって。私たちはカミングアウトして、『夜は遊びたい。私らしくいたい、他人から押し付けられるような人物像はいらない』
と表明できるようになったの。それがLGBTの心をつかんだんだと思う。今までの音楽では出来なかったことよね。あの曲にはメッセージ性があった。
リリース当時は、人々はもっとポリコレだったし、あの歌はただちょっと本音を歌っただけ、って位置づけだったけれど」 ―アナ・ニコル・スミスの伝記映画で主演をしてから10年が経ちました。その時のことを話してください。
彼女を演じたというのは、今にして思うとどうですか?
「彼女が亡くなった直後に撮影が開始されたんですよ。他人を演じる時って、すごく細かいところまでチェック
されたりするんです。私にとって初めての大役でもあったし、みんながよく知っている人物を演じるわけだから
とてもナーバスになったけれど、多くのことをリサーチできたからよかった。アナについて調べてるうちに、彼女に
大きな共感を抱くようになったことがすごく良かった。少なくとも私の意見では、アナと大富豪の旦那の関係は
心からのものだったと思う。彼女には世話してくれる人も父親もいなかったから、そういう存在に憧れるのは当然だもの。
生前の彼女は、私たちにとって最も興味深い人間の一人だったでしょうね。私は彼女がクソだとは思わない―ただ、
世界の見方が人と違うだけ。撮影中、彼女の目線を通して世界を見るのは楽しかったです」
―もし今アルバムをリリースするとしたら、どんなものになるでしょうか?
「面白いことに、2つの可能性があります。まずは、山のような種類のリミックスがクラブでかかる、ダンス・ポップアルバム。
今が旬のDJたちとコラボするのも素敵ですよね。まだ、代表曲のない新進の人とコラボしてみたい。そういう人たちの
コラボ相手といえば私、という存在になりたい。それから、私はいまカントリーにはまってるの。しばらくナッシュヴィルに行って、
曲作りをしたりもしました。みんなこう言ったわ、『ウィラ、君は農場育ちじゃないか。なんでカントリーをやらないのさ?』って。
ダンス・ポップ以外で作るとしたらカントリーしかないわね。そして、それは私自身のためのものです」
―(お蔵入りになった)セカンドアルバムはどんな感じのものだったんでしょう?
「あれは実際に完成してたんです。やりきったの。とてもわいせつなアルバムだけど、とてもクールな曲も何曲かあって。
『Sexy Sex Obsessive』っていう、すごく変なタイトルの曲があったんですけど、あの当時はかなりの衝撃作でした。
それから『Who I Am』という、ヨーロッパでこっそりリリースされた(訳者注:Sandraという、どこの馬の骨とも知らぬ
三流老婆ユーロダンス歌手に勝手に、強奪された!!!)曲。親にカミングアウトするゲイについての歌。
当時、自分のセクシャリティに悩んでいた友達に向けて作ったんです。友達の当時の心情を代弁しようと、
一生懸命に作った歌で、私にとってとても誇りなの。あの時の私はダーティだった。ポップとナイン・インチ・ネイルズが
融合したようなアルバムだった」 ―現在、あなたはインテリア・デザイナーとして活躍しています。どうしてその世界に足を踏み入れたんでしょうか?
「すごくクレイジーなの。でしょう?私はクリエイティブな人間。なにかをクリエイトしていないと死んじゃうの。
最初の結婚のとき、テキサスに引っ越したんです。そこでとても退屈してた。そこでエイミー・ノーランという
インテリア・デザイナーと仕事を始めたんです、そして最終的には一緒に家を建てたの。そして、その仕事が
とても好きなんだということに気づいて。離婚してLAに戻って、女優として仕事してたんですが、暇な時間がとても多くて。
なにか他のはけ口が必要だった。最初は友達のためにインテリア・デザインを始めたんだけど、みんな気に入ってくれて。
口コミで広がったんです。私の出演した映画のプロデューサーに、家のインテリア・デザインをしてくれと頼まれて。
それ以前にも、本当にハイエンドな家を手掛けたんですよ。今では新しい会社を立ち上げて、従業員3人抱えています。
会社はどんどん変化して、成長しています。素晴らしいことですね」
―ここ数年間はあまりインタビューも受けていませんでしたが、なぜそうしたんでしょう?
「うーん、それもよく訊かれるんですけど、なんて答えたらいいのか。そうした方がいいと思ったからかしら。インタビューは
受けない方がいいって。話題を変えたかったのかな。私自身と、PVの中の私の違いをわかってもらうための話ばかり
しなきゃならなくて。『I Wanna Be Bad』のPVが公開されて、みんなに言われたんです。『あなたは私が思ってたのと全然違う人ね。
生粋のビッチだと思ってたけど』。世の中の人に『ホットなオンナ』とか『ワルイオンナ』とか『ビッチ』みたいな目で私を見ないで
ほしいって、すごく大変だったの。あのビデオのせいで私をそんなふうに見る人がでるなんて考えもしなかったのに、実際そう見られて
しまうことがとても多かったんです。どうすればいいかわからなかった」
―またツアーはしますか?
「絶対するわ。ツアーに関してはうるさいですよ。もし新しい作品が上手くいったら、
ゲ イ ク ラ ブ 周 り を し た い 。
毎晩とてもパワフルで楽しいものになるから。今までは家族を巡業に連れて行きたくなかったわ。今は逆。
旦那や子どもにとって刺激になるでしょうね。なによりもツアーがしたいです」 それからもう一枚、アンチたちを発狂させるものを、貼っておきましょうね!!!
アンチども:「ウィラとブリトニーがシンユウだなんて嘘!面識もない」 「ブリ『ウィラって誰?』」
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あ〜〜〜〜〜〜っはっはっはっはっはっ!!!
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