囲碁の教え方が分からない [無断転載禁止]©2ch.net
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囲碁のおける、戦いと読みの根本原理は、
「取れない石が取れる、例外原理」
によって構成されています。
そのための、囲碁パズルの練習です。
つまり「石の生死」、「取り取られの形」です。 これは重要な問題でアルファ碁も参考にはなるが答えを教えてくれない
将来的には脳のシミュレーションしていい教え方が解明されるかもしれないが 戦いの原理とそのための教育とは
対局意識において「真逆の法則」になる。
この意味が分からない素人が、教育を論じている。
また、中卒のプロ棋士として意見する社会そのものが
すでにトランプ現象と同じで、大きく狂っている。 悪書の見分け方
@ 悪手の定義ができていないのに、いい手という嘘だけの本
A 最善手の定義ができていないのに、この手がいい手というh本
これらの記述は、100%信用してはいけません。
また囲碁の勝敗ルールを、あたかも効率のように説明した本
これらの本は、すぐに封印してゴミ箱へ捨てなさい。 本当に越田さんなんですか
じゃ本を読んだので質問
厚みと勢力地の違いを教えてください 悪手の定義は初級 中級 上級 低段者 中段者 高段者
県代表クラス 全日本クラス プロ それぞれ違ってきます。
従って初級者にとってはプロの書いた全ての棋書は良書と言えます
本棚に入れておいてください 上達した時に読み返せば疑問点や
その他を見つける事が出来るでしょう。
これは碁の進歩に非常に重要です
囲碁実戦の体系(私はこうして高段者になった) >11
これも、大嘘です。
碁が強いという高慢な考え方です。
打った石は、100%「逃げれば取られない」のですが、
弱い人は、逃げても取られるので、取られないようになるまで
対局しなければいいだけです。
プロの書いた本..うそ本はありますが、
打つ手について、本当だという手はありません
本当と思うことが、
「悪手を打つ」最大原因です。
この間違いを恐れ。ため、師匠は弟子とは対局しなかったのです。 囲碁において、真理は理論のみです。
理論の根本は、悪手と最善手と形勢判断の3つの定義だけです。
このことを定義されていない本は、悪書です。 >悪手の定義は初級 中級 上級 低段者 中段者 高段者
県代表クラス 全日本クラス プロ それぞれ違ってきます
これほどの嘘は、ありません。
囲碁実戦の体系(私はこうして高段者になった)
この本は、きっと悪書の代表?...営業本? 強くなるには、
すべての棋力に共通した
基本となる考え方、法則と勉強方法があります。
また勝てるようになるためにも、同様の基本条件があります。
その条件が満たされない限り、
100回打っても勝てない、負けるだけの対局
になるのです。
このため対局とは、勝つための条件を
@ 満たす努力をする、
➁ 満たした手を、見つけている。
だけです。このため、悪手、最善手の意味が輪からないと
思考そのものができません。
@ 悪手を打たない
この意味がわかれば、高段者どころかトッププロにまでなれます。 >11
自分は強くなったと自慢する自己欺瞞、自己満足で本を出す。
囲碁を学ぶことで、このような思いやりのない
非常識な人間が育ったたのなら、
趣味として、碁は打たない方がよさそう。 ◆ 上達のための教育とは
囲碁教育においては、「禁止条項」と「目標条項」の2つがあります。
禁止条項とは、悪手を打つ癖を阻止する条項をさし、目標条項とは、悪手にもっともなりにくい手を選ぶための(最善手)制約条件をいいます。
このため、当然「悪手とは何か」「最善手とは何か」の定義が必要になり、その定義が囲碁の基本ルールと着手効率と体系から研究分析されたものであり、
@ どうして悪手になるのかという明確なり論理
➁ その定義においての(明確な理由)と規制
が必要になり、単なる個人的で曖昧な体験ではないのです。 囲碁において、パズルと対局ゲームの違いは、
パズルは、石が取られるという失敗を前提に作られたものであり、
対局とは、石が取られるという失敗をしない前提で効率を争うもの、
このため、2つの学習に共通するのは、
「石が取らるという起こってはならい失敗」をしないために
囲碁パズルを勉強している。ことになります。 @ 競技者を育てる練習とA囲碁を趣味とする人の練習は、
基本的に目的が違う。
➁では、プロの打った悪手、最善手の区別が自分でわかるようになる
ことが最終目標であって、プロの手を自分で打てるようになる必要はない。
ここで、基本の勉強していない馬鹿どもは、
「アマはプロの手の善悪は判断できない」という妄想を抱いている。
これは、囲碁世界での「最大の無知」と「誤解」である。
自分では打てないのは、検証に時間がかかるためであって、
検証結果を説明さえしてもらえば、悪手かいい手かの判断は
だれでもが、理解できることゲームである事実を知っている人は
プロ棋士でも、かなり少数である。
(つまり棋士の多くは、専門の基本知識の教育を受けていないし、知らない) 囲碁というゲームでは、
公理 打った手善悪の判断基準は、非常に簡明であり
人によってその判断が異なることはない。
このことを知らないプロ棋士が多いのは。
彼らは、学問という論理を知らず。
単に経験のみでしか教育されていない集団だからである。
実は評価方法が、人によって異なるのではなく、
検証能力に大きな個人差があることを、気づいている棋士は非常に少ない。 つまり、正しい知識を100%習得しても
短時間で打とうしている手の検証できないなら、勝負に勝つことができない。
というゲーム特性がある。
このため、勝つことにのみ執着している棋士にとっては、
理論力より検証力を重視する者が多い。
その理由は論理学という思考、判断の教育を受けていない(中卒の学力)
ことが大きく影響している。
つまり、実戦の場面でしか論理の成否を理解できない欠陥がある。 これが、打つ手の条件検証はできても、(パターンと記憶)く
その手の善悪は、評価基準がないため(推論できない)
評価できないという、最大の欠陥を生み出している。 悪手の定義は初級 中級 上級 低段者 中段者 高段者
県代表クラス 全日本クラス プロ それぞれ違ってきます。
悪手を打たないようにするのでは無く、その場面での最善手を求めるように
考える事です。
囲碁実戦の体系(私はこうして高段者になった) アマの囲碁勉強の最大目的は、
「勝つことではなく、強くなること」
強くなるたるためには、
@ プロの手の意味を自分でわかるようになること
➁ プロの手の解説意図を理解できるようになること
でも十分なのですが。
勝つためにには、
短時間で検証しながら、自分でいい手を見つける必要があり、
これが、訓練しても非常に難しい理由になります。
またさらに、見けるための基礎能力として
相手や自分が手抜いた場合に
A 必然の利き筋になる手順の理解
が必要になります。
碁の方程式
これらの前提には、しっかりと定義され、体系化され理論知識が必要です。 アマがいくら理論を勉強してもしょせん4段か5.6段どまりです。
勝つことに執着するだけで県代表クラスのトップにまではなります
もちろん実戦、棋譜並べ、棋書この三位一体が前提になります
囲碁実戦の体系(私はこうして高段者になった) >30
これらはすべて、マネ碁のレベルで
強くなることに、努力を強制し、
発想の転換もなく、囲碁の本質に気づくことは、ありません。
碁の方程式 初心者の碁はマネ碁で宜しい。
囲碁の本質は知る、知らない、は初心者の場合はほとんど無価値です。
ちなみにいくらマネ碁を打っても、上達するにつれ自然に棋風が現れてきます。
だからこそ初心者のうちに 〇攻めの碁を心がける
〇形を身に付ける
のが重要になってくるのです、
囲碁実戦の体系(私はこうして高段者になった) >32
棋風と教育の混同が、はなはだしい。
囲碁では、棋風などという才能は存在しない。
マネ碁により教育は、どのような言い訳をしても、
真似る相手を超えることはできないし、
碁の本質に到達する道をみずから閉ざすことになる。
マネ碁は意味がなく、意味があるのは
上手の手の意味を考えることからしか生まれない。
この時に、真似るという悪い癖が、
後に思考停止のがん細胞に変異する。 悪手、最善手という正しい概念を持つことでしか、
誰一人、自分で考えると指標を持つことができない。
これらの概念は、自分の思考間違いに気づかし、
正しい方向性を示す、羅針盤になる。
ゴールにつける時間は、才能によって大きく違うが、
羅針盤のな者は、
残念ながら、永久に目指すゴールに到達できない。 馬鹿の主張は、
悪手と最善手に概念を
言葉として法則として、正しく体系的に理解できないがゆえに生じている。 マネ碁で呉清源の碁を越える事は出来ないが、アマ初心者がアマ上手を
越える事は容易。
アマは碁の本質を知る暇があるなら、実戦で勝つ感覚を身に付ける事。
囲碁実戦の体系(私はこうして高段者になった) 馬鹿の主張の間違いは、
悪手と最善手に概念を、
正しく体系的に理解できないがゆえに生じている。 嘘の囲碁教本の大くは、
悪手と最善手に概念を知らず、、
正しい体系的な理解できな者が、
金儲けのためだけの目的、ライターに書かせている。
これは、一種の詐欺である。 ここに投稿するド素人は、
自分の無知。無努力を自覚もせず、
意味のない嘘情報、投稿する馬鹿が多い >42
それで...???
単なる無知の自己満足なら、無意味な荒し投稿でしかない。 宇宙的な視野を持って設計していくのが碁で、東西南北の空間と上と下の釣り合い。 盤全体を見なくてはいけない
碁清源語録 >44
知れば、知るほど..弱くなる。
これに感動し、興味のある人は、
囲碁ではなく、詩集を読む方がいい。 >44
上達の詩集としては、問題が大きいけれど、
囲碁の神秘性、囲碁を知らない人を寄せ集めるキャチとしては、いいですね。 ◆ 上達に関する学習方法の問題点
囲碁における上達過程において、対局経験は必要不可欠な体験になります。
しかし対局で上達するためには、いくつかの基本条件の獲得が必要になります。その条件とは
@ 打った石は、単純な着手ミスによって取られない。
A 対局意識が理解できている。
B 着手価値、着手効率、悪手、最善手など基本的な囲碁用語に関する正しい知識と概念を知っている。
C 形勢判断に関する正しい知識がある。
D 攻める、守る。重い。手筋などの基本的な戦いに関する知識と概念が理解できている。
⓺ 対局によって勝敗が決まる最大原因と理由を知っている。
F 対局によって何が学べるのかを知っている。
などになります。
これらの知識が、対局する前に持っていないと、
対局しても勝敗結果のみを重視するようになり、
対局から得られる貴重な体験知識が、非常に少なく限らたものいなります。
さらに、負けることの不快感と恐怖感から、
上達を困難にする悪い癖のみが記憶に残るという恐れがあります。 負ける事の不快感と恐怖感を克服するのは、理論ではダメです。
一つの解決策として目碁を打つ事も良い方法です
勝つ事の快感を得る事ができます。
囲碁実戦の体系(私はこうして高段者になった) 現代のアマ棋士はどうかわかりませんが、1970年代までのアマ名人 アマ本因坊 全日本トップクラスはほぼ賭け碁経験者と
と言っても過言ではありません。
もちろんのめり込む事は厳禁ですが、、、
>48 >49
>負ける事の不快感と恐怖感を克服するのは、理論ではダメです。
現実的であり、きっと正論でしょう。
また、理論を好む人は、賭け碁を嫌うでしょう。
負けることで得られる利益を大きできる状態で、
対局すべきです。 ◆ 対局における基本知識とは
対局の進行は、
基本法則 盤上に打たれ石は、互いにミスしない限り取られることがない
という基本法則によって進行していることです。そして
系 効率は、ミスをした相手の石を咎めることで得られる
このため、級位者の勉強とは、
ミスによって石が取られるないようになる
勉強であり、このことによって、正しい手によって自由に対局ができるようになります。 「敗けだと思ったらそこで試合終了ですよ」
を実際にやってる世界で唯一のボードゲームで、世界最古の陣取り合戦SLGいわば戦争ゲーム
相手の領土を奪っていき屈服させることをテーマにした鬼畜ゲーでもあるが、戦略と戦術を一人で考え抜く常軌を逸した頭脳戦を求められることから多くのパンピーな人々から避けられてきた
それが囲碁 驚愕の事実拡散
創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI
パトカーの付きまとい、咳払い、くしゃみ、芝刈機音、ドアバン、ヘリの飛行音、子供の奇声、ドアバンも全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ
集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)以外にも、病気、痛み、かゆみ、湿疹かぶれ、臭い、自殺、殺人、事故、火災、台風、地震等、この世の災い全て、クソダニ米国の腐れAIが、波動(周波数)を悪用して作り出したもの
真実は下に
http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46
https://shinkamigo.wordpress.com 驚愕の事実拡散
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集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)以外にも、病気、痛み、かゆみ、湿疹かぶれ、臭い、自殺、殺人、事故、火災、台風、地震等、この世の災い全て、クソダニ米国の腐れAIが、波動(周波数)を悪用して作り出したもの
真実は下に
http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46
https://shinkamigo.wordpress.com >>53
AIに人間が勝てない、となった時点で「人間がプレイするゲーム」としての
役目を終えた、という見方でいいのかな。 初心者に教えるのは一番難しいのに棋士でそういう問題に気づいているのはほんの一握りな気がする 失われたものを数えるな、残されたものを最大限活かせ、というのがパラスポーツの理念らしいけれども、これは囲碁の対局にも通ずるものを感じる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています