故・加藤正夫氏について語るスレ [転載禁止]©2ch.net
殺し屋と言われていた若いころ囲碁雑誌の記者に
「形勢がよくても、取れそうな石があれば殺しに行っちゃうんでしょ」
と聞かれ、加藤はちょっとムッとして
「僕だってちゃんと数えて良ければ取りに行ったりしませんよ」
と答え、記者がなおも
「何目くらい良ければ取りに行かないんですか」
と追及すると
「・・・3目くらいかな」
と真面目に答えていた。 日本囲碁界は今の棋士理事全員の魂と引き換えに加藤先生を復活させるんだ! 加藤正夫の命日にこの世に生を受けたのが上野愛咲美なのであった >>61
違うぞ!
ttps://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki000002.htm
ttps://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki000470.html 加藤先生が理事長になったのは、自民党からそれまでの野党に政権交代したのと等しかった。
しかし長年の癒着や既得権などで、日本棋院内で賛同者が少数だった。
そのため孤軍奮闘で心労が祟って殉職したようなものだろう。 時代としては趙治勲の次は張栩だけど、本因坊にしてもNHK杯優勝にしても実質張栩は加藤正夫を踏み台にしている >>63
日本の野党にはクズしかいないので、その表現は加藤先生に失礼千万。
加藤先生が今も健在だったら日本棋院はここまで凋落しなかっただろうに。 サッカーJ1でいえば、川崎フロンターレのような存在だったのかも?
何度も頂点寸前で涙を呑みつづけたあとに、黄金時代到来。 加藤さんは応氏杯などでコミが7目半というのには反対の意見を述べてた。
布石の研究というのは黒番の研究が先にあって、それに対応して白番の研究が進む。
現在黒番の勝率がいいから(当時は5目半で56%くらいだったか)といってコミを大きくすべきではないと言ってた。
当時すごく弱かった俺は、加藤正夫は白番だと馬鹿の一つ覚えのように2連星をひいて、なんか地がないのに
乱暴して勝ったり勝ったり負けたりしてる碁打ちなのにと思ってた。 >>68
「コミ碁は碁にあらず」と主張した加藤信先生を思い出した >>68
治勲と十段戦の挑戦手合では、半目勝ちで3勝して奪取したこともあったけど。 趙治勲がいなければこの人はもっと長く全盛期を過ごせていて、理事長加藤正夫にも大きな支えになっただろう。
趙は棋士加藤正夫に取って代わることはできても、理事長加藤正夫の代わりには絶対になれない。
木谷實と趙一族の出会いは長い目で見ると日本囲碁界には不幸なものだったのだな。 だったな
と言われても最初から日本語おかしいし結論が変
あんたがチクン嫌いなのだけが伝わったよ 加藤先生は佐藤康光会長と同等かそれ以上に有能だったと思うのだけど、
明暗を分けてしまったのは周囲の環境なんだろうかね。 この人の若い時のぐいぐい押しまくるような車の後押しみたいな手
天頂と似ているとこがある 木谷一門の中ではあからさまに異質だった。棋風も人間性も。 こんなことになるのならさっさと囲碁界と縁を切って健康に生きていてくれたほうがよかった。
囲碁界で加藤先生だけは本当に惜しい人を亡くしたと思う。
>>36
林先生は完全に耄碌してしまったようだ。厳しいようだが棋士としては生き恥を晒しているだけ。