隅のマガリ四目が劫尽くしの手入れをしなくても無条件死であるという(『ルールでそうなるから』ではなく碁の基礎的原理から導かれる)論理的根拠について、
一般的な死石が地に手を入れて打ち上げる必要がないのと同じだという回答を目にするが、それでは答えになっていない。
なぜなら、ここでの問いはそもそも「打ち上げる」ことではなくて、「死活の確定」だからだ。

一般的な死石とマガリ四目の大きな違いは、
一般的な死石はその盤面の状態で明示的に死が確定しているが、
マガリ四目は劫尽くしの手入れをした盤面になって始めて明示的に死が確定するのであり、それまではやはりセキだと言える。

あるいはこの件の説明に純碁を持ち出す人も多いが、純碁はあくまで石の数を争う別のゲームの話であって、日本ルールは地の数を争うゲームだ。
だったら日本ルールでは、劫尽くしはそれこそ地の多少にかかわる重大な問題なのだから、手入れを必須にさせるべきだという回答は十分可能だ。

日本ルールが複雑になっている真の原因は、マガリ四目は無条件死であるという歴史的慣習あるいは他のルールとの整合性を無理に合わせようという発想から生じているのであり、
いっそのこと日本ルールは日本ルールとして独自の路線を割り切って突き進んでしまえば、問題は解決されるのではないか。