ここでは、例5'例10の経緯を振り返っておこう。

当初、例5を回答できた理由として、以下の様に答えていた。
>>457
>>454
>そりゃどんな風に手を抜いたのかは対局者(例の作成者)にしか分からないからな
>例5では全て黒の地で手を抜いた場合という設定の指定があったから設定通りに書いただけだ
勝敗判定するには、終局図だけでは無理で、どんな風に手を抜いたかが分からなければ
判定しようが無いと回答してきた。

これを踏まえて、例5'例10では棋譜を付けて見た。
そしたら、どんな風に応じてどこで手を抜いたかも確実に分かるだろう。すると、
>>464
>>462
>>では、棋譜があれば、"最善を尽くした場合" と "手を抜いた場合" の両方が
>>求められるってことかな?
>どうしてそうなるw
>設定の話は設定者にしか分からない
>ここで俺が設定しても意味がないだろ
と反論して回答を拒んできていた。

しかしながら、例5'例10に関して一週間待たされて、やっと得られた回答を見てみると
>>546
>黒が手を抜いて本来は純碁で2眼まで埋められるのに途中で終局したという場合には
>例5と同じになる(日本ルール以外はハマ関係ないので同じ)
『どんな風に手を抜いたのか』は、全く関係なく同じ結果になると言っている。
先の主張は何だったのだろう。設定者の設定の話とは何のことだったのか。

「では、終局図が同じで、『どんな風に手を抜いたのか』で結果の変わる碁形とは?」
と言う風に、核心を突いた疑問を投げかけることを予想して、回答を拒否していたのだ。
そもそも、『設定の話は設定者にしか分からない』として、目算が出来ないとするなら、
スマホで写真を撮ってコンピュータで勝敗判定なんで出来る筈も無い。

そして、相手を物凄く基本的なことが分かっていないと馬鹿にしながら、
議論が進展することを拒否して、全く同じ自己主張を繰り返してきている。